スピリチュアル、原理主義、友人

 
悟りや覚醒についての教えに触れはじめて以来、ヒーリングやチャネリングや各種の目に見えない存在といった、いわゆるスピリチュアルと呼ばれるものを否定するようになっていた。

そうしたものはすべて〈自己〉から目をそらし、エゴとの同一化、マインドとの同一化を強化するものにすぎないと考えたからだ。

それが極端になり、誰かが瞑想とか身体の緊張を和らげるといったことを話すだけで、「わかってない」と却下するほどになっていた。

だが、最近になって、それがいかに偏狭で観念的かということに気づかされた。(本当に最近)

それは、グレッグ・グッドの本を読み、また下の動画を見ているときだった。

Greg Goode – Buddha at the Gas Pump Interview (Youtube)

ここでグレッグは観音について話している。「非二元の先生が観音の話!?」と最初はギョッとしたのだが、観音について話すのが問題だと感じる人に対する彼の見解はこんな感じだ。

観音について話したからと言って、二元的だということにはならない。コーヒーカップや自転車について話すのはOKなのに、天使や観音について話すのはダメというのは逆に二元的だ。生は完全にオープンで自由なものだ。

これは文字にするとひとつの理屈だが、観音についてうっとりと語るグレッグの口から聞くと、そっちの方が自由でいいなあと感じる。

だから今は、ヒーリングであれ、チャネリングであれ、呼吸法であれ健康法であれ、非二元性と対立するものは何もないんだという心地よさを以前よりは感じるようになった。

(と言っても、悟りというのは特定の意識の状態やあり方のことだとか、悟っている自分が悟っていないあなた方に悟りに到達するための手法を教えてあげましょうとかいった表現を耳にすると、ちょっと待てよと言いたくなるのは変わらないのだが)

そんなわけで、チャネリングと直観をもとにカウンセリングをしているある友人のことも、今なら素直に紹介できる。

Shinoさんという人で、数年前にフィンドホーンに行った時に知り合った。別のコースで彼女もフィンドホーンに滞在していたのだが、日本に戻ってからも読書会や食事会などで何度も話をした。友人のことをあれこれ評価するようなことは書きたくないが、それでも書くとすると、とても信頼できて誠実で愛があり、言葉を大切にし、人からパワーを奪わない人だ。

カウンセラーとかセラピストという人たちの中には、僕の少ない経験からしか言えないが、パワーを奪う人がけっこういる。カウンセリングやセラピーをするそもそもの動機や意図、エネルギー源が、パワーがほしいとか、自己肯定感を高めたいというところにある場合もあるだろう。

その意味ではShinoさんの場合は、力はカウンセラーにあるのではなくて、あくまでもひとりひとりが力を持っているという姿勢が貫徹されているように思う。実は僕自身は彼女のカウンセリングは受けたことはない。だから無責任なことはあまり言えないのだが、自分ひとりだと思考が空回りしてしまうという状況にある場合は、良いきっかけをつかめるのではないかと思う。

個人カウンセリングだけではなく、テーマ別のワークショップも開いているという。ワークショップには誘導瞑想も含まれているが、以前一度誘導瞑想をしてもらったとき、「天界のエネルギーというものがあるとしたら、これだ!」という印象のエネルギーを感じた。穏やかさと開放感、荘厳さと美しさが同時に感じられたその超越的な時間は、奇跡と呼びたくなるほどだった。

と、ちょっと褒めすぎではないかという感じもしないではないが、素直に書いたらこうなった。

Shinoさんのウェブサイト ブルーミングツリー

2時間ワークショップのご案内

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スピリチュアル、原理主義、友人」への4件のフィードバック

  1. 非二元的なものに対しての嫌悪感は私も心当たりがあります。それこそが「非二元的」だというお話とても腑に落ちました。ありがとうございます。

  2. 動画面白かったです。

    非二元論者はよく唯物論的バイアスに陥っているってグレッグのコメントには、ドキッとしました。

  3. 一粒さん、コメントどうもありがとうございます。

    グレッグの素晴らしいと思うのは、何を言っても、他の「人」に対する批判に聞こえないところです。実際、そこに「人」やその「選択」の存在を認めていないのだろうと感じます。

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