以前と以後、私とあなた レオ・ハートン

 

最近、眠る前にレオ・ハートンのFrom Self to Selfという本を読み直している。

彼の一冊目のAwakening To The Dreamが出た後に、読者から寄せられた質問に答えたものをまとめた本で、ユーモアを交えながら答えが明確に示されている。(答えがないことが明確に示されている、もしくは、質問の出どころ自体が疑われていないという問題が明確に示されている、と言ったほうがいいかもしれない)

その中のひとつが、彼のウェブサイトにあるので、和訳して紹介したい。

ATTD News Letter number 26 * Sunday, March 07, 2004

==以下、訳 ==

Q. 悟っている先生たちの言うことは、なぜいつも矛盾しているのでしょうか? 努力せよという人もいれば、努力は邪魔になるという人もいれば、神を見いだすためには心からそう望まなくてはならないという人もいれば、神を見いだしたいという望みは他の望みと何も変わらないという人もいれば、瞑想等をしなければならないという人もいれば、自分でできることは何もないという人もいます。誰を信じればいいのでしょうか?

A. 私はアムステルダムに住んでいて、人生の大部分をアムステルダムで過ごしてきました。旧市街は円が円を取り囲むようにつくられているため、旅行者はすぐに迷ってしまい、道をきくはめになります。私たち住民は、道をきかれると、右へ向かうといいとか、左へ向かうといいとか、円をぜんぶ突っ切ってまっすぐ進むといいとかアドバイスすることになります。こうした三つのアドバイスはすべて違う方向を示していますが、どちらに向かって歩き出しても、結局同じところに着きます。

努力をすべきかどうかという質問についていうと、私はこう思います。分離して独立している自分が存在していると信じることによって、問題のように見えるものが生じています。努力したり求めたり、何かをしたりすることによって、その分離と「まだ到達していない」という観念が維持されます。と言っても、私は「あなたには何もできない」と言うつもりもありません。私が言うとしたらそれは、何かをするような分離して存在するあなたというものが実際に存在しているかどうか調べてみてはどうでしょう、ということです。もしこの分離して独立した「私」が見つからないとしたら ― そしてそのことが完全に明確に認識されたら ― 、探求も努力も自然に消えていくでしょう。

Q. 輪廻やカルマ、死後も生き続けるような「魂」や個別の存在 (泡) があるのかどうかということについても、それぞれの先生の言うことは食い違っています。面白いのは、どの先生も、自分の言うことが真実であって他の先生たちは間違っていると、完全に確信しているように見えることです。どの先生も他の先生たちについてそう言います。

A. 言葉で言われることや書かれることはどれも真実ではありません。言葉が目指すことができるとしたら、それは言葉が現れる源泉を指し示すということだけで、それ以上は無理です。そうした指し示しは無数の異なる形をとり、また、ほとんど場合は無数の要因によって表現が左右されます。夜空に輝く金星を指さすように言われたとしたら、指差す時刻によって方向が変わります。日中であれば指差すことはまったくできないでしょう。私なら、「私は誰か」という疑問が解消するまでは、カルマや魂や輪廻といったことには関わりません。「私は誰か」という疑問が解消すれば、そうした問題についての興味が続いているとしても、そうした問題に対する答えは見つけやすくなっていることでしょう。

Q. トニー・パーソンズがエックハルト・トールの『パワー・オブ・ナウ』を批判するコメントを最近読みました。以前、ラメッシ・バルセカールのOSHO批判を目にしたこともあります。それから、OSHOとプンジャジがサイババについて否定的なコメントをしているのも読みました。こうした批判の循環には終わりがありません。私の質問はこうです。悟った後で「私にはわからない」「すべては謎だ」「私の言うことは真実ではないかもしれない」と言わないのはなぜでしょうか。彼らがどんなことについても答えを提示するのはなぜなのでしょうか?

A. そうした人たちの大半は、究極の真実は対象化できないとか、マインドは真実をつかめないとか、彼ら「自身」のマインドももちろん真実をつかむことはできないと言っています。ラメッシはよく「ここで語られたことは真実ではない」と言っていました。トニー・パーソンズは、いろいろな教えに矛盾を見てそれを指摘しますが、こう付け加えます。「もちろん、こうした混乱すべてが、一体性が表現するひとつの現れであり、混乱を指摘することもまたそうした現れのひとつだ」

Q. あなたと現在の私の違いはなんでしょうか? 別の言い方をすると、今のあなたと悟る以前のあなたの違いはなんでしょうか? 「悟り」を時間の中で特定の人に起こる出来事として扱うことはできるのでしょうか。あなたは悟りをそのようにはとらえていないかもしれませんが、誰もが何歳のときの何月何日に悟りが自分に起こったと言います。たとえばラメッシもプンジャジもそういうことを言いますし、他の人たちもたいていそうです。

A. 「以前」というのは相対的な表現です。ここにあるのは、なにもこれまでに起こっておらず、今も何も起こっていないという、理解を超えた認識です。「以前」は、覚醒が起こらないといけないのだと思い込んでいました。今は、〈それ〉が「あるということ」が前面に出ています。それはこれまで存在しなかったことのない〈実在〉です。それが「以前」や「以後」ということがもはや妥当ではない理由です。会話を成り立たせるために言えば、「以前」は自分のマインドを自分が使っていたと信じていたけれど、今はただマインドがある、ということになります。文法的な意味で、「私は考える」とか「私がする」という表現は都合がいいものです。でも、考える、行為する、感じる、存在するという見かけがただあるだけで、そこにはそうしたことをする「私」はいないのだという理解があります。あなたと私の間の違いは見かけ上のものです。〈一なる〉源泉があなたや私として現れているだけです。そのことが認識されていてもされていなくても、それが非個人的な明晰さとして現れていても個人的な条件付けとして現れていても、どれもが〈源泉〉から直接生じているのです。

Q. 誰もが悟りを「販売」しはじめるのはなぜでしょうか? 悟りを求めている人がたくさんいるせいで、悟りを販売するのが生活のために好都合だからなのでしょうか? 先生たちの多くが贅沢なライフスタイルを楽しんで、外国でリトリートをして、経費は他人持ちで世界中を飛び回り、崇拝までされています!

A. すべての先生たちがこの理解を表現しているわけではありませんが、この理解を表現している人たち ― そして明確に理解している人たち ― は、自分たちが川べりで水を売っているということを認識しています。それがどういうことかについて新たな説明を提示するかわりに、私の本Awakening To The Dreamから引用します。

**引用はじめ**

(以下の文章はAwakening To The Dreamから引用したもので、上記の質問の最後のポイントについての説明になっています。)

川べりで水を売る

このことを理解しやすくするかもしれないことわざが、私の国にはあります。「口は心を満たしていることについて語るのを止められない」ということわざです。恋に落ちていて、自分の恋人について話すのを止められない男について考えてください。この男は、友人を納得させ、自分の恋人を口説かせようとしているわけではありません。単純に、自分の恋人について話さないでいることができないだけです。もしかしたら、長いラブレターを恋人に綴り、自分の心からの愛を表現する言葉が見つからないと書くかもしれません。彼の感情に接したとき、恋人はその意味を理解します。男が自分でも認めているように、感情が正確に表現できていなくても、それは関係ありません。

同様に、この文章も言葉ではつかまえることができないことについて書かれていますが、それは読者がそのメッセージに気がつかないという意味ではありません。このメッセージは、あなたを改宗させようとして発しているものではなく、ただ単に私の心を満たしているものです。恋に落ちている人たちと同じように、私もこのことを表現するのが大好きなのです。でも、それがそれ自体を表現していると言った方が、より真実に近いことでしょう。私たち誰もが同じようにもっている〈その存在〉、光り輝いていて自己を認識している、私たちの集合的存在の中心が、それ自体を表現しているのです。

さて、ここで免責条項です。この本に書かれている観念を飲み込む前に、この条項を注意深く読んでください。どんな観念にも、真実は含まれていません。水という観念が、あなたの喉の渇きを癒さないのと同じことです。さらに、この本に書かれた観念は、あなたのエゴ、あなたの信念、あなたの現在の価値観に危険を及ぼす可能性があります。極めて硬直したエゴ、信念、価値観をもっている場合には、特に注意が必要です。それはこの本を読むことで、読者が現実を理解する上でのモデルが、不快なかたちで曲げられたり、伸ばされたり、場合によっては消滅してしまったりする恐れがあるからです。当然ですが、この免責条項についても鵜呑みにしてはいけません。この免責条項自体も、警告の対象になっている観念のひとつだからです。

**引用おわり**

== 訳は以上 ==

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