ある日

 
昨日は、しなければいけないことに手がつかず、しなくてもいいことばかりしていた。

ヤスの備忘録とIn Deepを読み、世界にこれから何が起こるのかということを少し考えた。思考におもいっきり巻き込まれながら。

それから、グレッグ・グッドのDVDを見た。Illuminationという二枚組のセットで、シュリ・アートマナンダ・クリシュナ・メノンのダイレクト・パスをグレッグ方式のデモで示すというもの。少し笑ったりしながらも、グレッグが何度か爆笑するところで、その面白さがよく分からず戸惑った。

それから、ダリル・ベイリーのロンドンでのミーティングを記録したDVDを見ようとした。が、話が退屈に思え、数十分でやめた。

満たされない気分が続き、ラマナの本を手にとった。Who Am I?の翻訳に疑問を感じ始め、英語版をネットで探した。「真我」という言葉がどうも気に入らないと思いながらも、結局ラマナは英語でこの問答集を書いたわけじゃないし、とどうでもいい気分になった。

それから、ネイサン・ギルの本を読んだ。好きな本だが、どうも響かない。当たり前のことを熱心に質問したり答えたりする意味がわからない。

つぎに、ムージのインタビューを本で読んだ。なかなか楽しい気がした。そしてムージの動画を見た。Buddha At The Gas Pumpのインタビューだったが、ムージがあまりに盛り上がっていないため、楽しい気分はすぐに去った。さらにパパジとムージのおかしな歌の動画を見ていたら、ますます暗い気分になった。何をしているんだろう。

満たされない気分がひどくなった。結局自分が何を求めているのかもわかっていない。自分が何かをしようとする動きは、全部genuineでもなければauthenticでもない (よい日本語が思い浮かばない) という思いにとらわれた。

エックハルト・トールもガンガジもムージもパパジもラマナもアジャシャンティも全部好みではないのは、単純に好みではないというよりも、人気がありすぎるからという天邪鬼的なものか、あるいはポジショニングを考えたマーケティング的ないやらしさなのではないか (しかもそれが無自覚的に展開するといういやらしさ) 、という思考がやってきて、自分がからっぽの存在に思えた。

結局自分は否定するだけのマシンなんじゃないかと。

そんなことを考えつつ、Buddha At The Gas Pumpのリストを見ていると、Benjamin Smythe (ベンジャミン・スマイス) の名前が目に入った。その名前は、以前いくつかのミーティングで他の参加者から聞いたことがあった。が、誰もが「ベンはクレイジーだ」と言っていたから、チェックしたことはなかった。

でも昨日は見てみたい気分になり、インタビューを見た。

一見、アメリカ西海岸によくいそうなドラッグ中毒のキ○ガイにしか見えない。目の開き方はアンジュナ・ビーチで見かけたことがあるヨーロッパ人を思い出させる。人の顔を覗きこんでくる狂気の目にゾッとした記憶が蘇る。

でも、見続けていると、genuineという印象が強い。目覚めという意味では、たまに耳にするhalf-baked (生焼け) という言葉がぴったりする感じもある。それでも、genuineという感じに惹かれる。

gen・u・ine [dʒénjuin]
【1】まがい物でない,本物の:
【2】〈病気が〉真性の:
【3】〈人・感情などが〉気取りのない,偽りのない:
【4】〈人が〉(血統的に)純粋の,〈動物が〉純種の:

自分がgenuineでないという気分に覆われていたのが、だいぶ楽になった。

これはベン・スマイスの別のインタビュー。

「自分が自分であるためにミーティングやリトリートに行って金を払うというのは馬鹿げている。花が花であるために金を払うかい? (かなり意訳) 」と強調したりしているところには、お金に対するトラウマの匂いを感じさせて好きじゃない。でも、このかなり変わった表現の形が昨日の自分にとっては救いだった。

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