グレッグ・グッドのインタビュー 2011年 (3)

 
グレッグ・グッドのインタビューの翻訳の続きで、パート3。(その1はこちらその2はこちら)

GREG GOODE – Interview with non duality magazine. July 2011

== 以下、翻訳 ==

Q. ジニャーニ (jnani, ニャーニ) とジーヴァン・ムクタ (jivan mukta) は同じことでしょうか、それとも違うのでしょうか?

A. ダイレクトパスやシュリ・アートマナンダなどは、その二つのことを区別して考えていません。

Q. シヴァナンダがこのページ (英文) で説明している、ジニャーニの七段階については、どう考えていますか?

ダイレクトパスでは、こうした段階をひとつひとつ通ることなく、同じような結果がもたらされるということがありえるのでしょうか?

たとえば、シヴァナンダはこう言っていますね。「第四の段階は、サットヴァパティ (Sattvapatti) だ。この段階では、潜在的に存在している心の傾向が完全に消滅する。第五の段階は、アサムサクティ (Asamsakti) だ。この段階では、世界に存在している対象に対する執着が完全に消える」

A. スワミ・シヴァナンダが言うジニャーニの七段階と、ダイレクトパスとは、直接対応してはいません。それが、ダイレクトパスがダイレクト (直接的) といわれる理由のひとつです。

この二つを、同じ目的に通じる別々の道として考えてもいいでしょう。

他にもいくつかの違いがあります。こうした違いを見れば、スワミ・シヴァナンダの教えの中にあるいくつかの段階について、理解しやすいかもしれません。

シヴァナンダの教えは、伝統的なヨーガに基づいたものです。シヴァナンダと彼の弟子のスワミ・ヴィシュヌ・デヴァナンダは出家者で、典型的なハタ・ヨーガの行者でした。

スワミ・シヴァナンダは、食べ物と性行為について、伝統的なヨーガに基づくアドバイスをしていました。たとえば、スワミ・シヴァナンダは特定の食べ物を禁止していました。香辛料が多く使われている料理、辛いカレー、チャツネ、唐辛子、酸味の強い料理、タマリンド、マスタード、油、塩、それに重い性質の野菜などです。公開されている資料を見る限りでは、シュリ・アートマナンダはこうした食物をとることを禁じていませんでした。

スワミ・シヴァナンダは、塩を摂らないことによって、意志の力が強まると教えていました。

さらに、性的に禁欲することは、マインドの最も奥底にまで到達することができるようになるという意味で、「解脱の土台が立てられる基礎」となるとも述べていました。

シュリ・アートマナンダ (ダイレクトパスの創始者) は、厳格なベジタリアンではありましたが、シヴァナンダのように他のいろいろなものを禁止することはありませんでした。スワミ・シヴァナンダは、ニンニクと玉ねぎは肉より更に悪いとも言っていました。アートマナンダは、野菜は禁止しませんでした。

こうした多くの禁止事項は、段階的な道 (プログレッシブパス) の特徴であると言えます。こうしたものに従うことによって、身体とマインドはより純粋 (サトヴィック) になります。そのことで、自己探究をするために必要な心の平安が得られます。ダイレクトパスに取り組む人にとっても、こうしたアドバイスに従うことは役にたつでしょう。ただし、こうしたことが不安の種にもなりやすいのも事実です。ですからダイレクトパスでは、こうした生活習慣について、必然的に必要となるような、厳格で具体的な規則は定められていないんです。

そもそも、二つの教えについて、それぞれのどの部分がどこに対応するのかというようなことを考える必要はありません。その教えは解放をもたらすのか? という質問のほうが、より適切でしょう。二つの教えのどちらについても、それが行きつくところまで行って、最終的には同じところで出会うことになるのを信頼するというのが、愛のある寛容な態度なのではないかと思います。

Q. あなたの著書Standing as Awareness (気づきとして存在すること) の12ページに、ティーカップの実験について書かれています。視覚芸術家は、生まれつき、言語や概念に基づかず、対象で構成される世界を右脳を通して見ています。ティーカップの実験はその芸術家の見方と同じだと思います。

典型的な左脳型の人たちの場合、たとえば弁護士や株式仲買人や会計士のような人たちですが、そういう人たちにとっては、このような実験はかなり難しいのではないでしょうか?

A. それは面白い質問ですね。右脳と左脳という分類に基づいて考えると、分析的な傾向がある左脳型の人たちにとっては、ティーカップの実験はとてもうまくいくと思います。なぜかと言えば、この実験では、ものごとがどのように見えるかという視覚が使われるだけでなく (その面では、直観的な右脳型の人たちが、より優れているでしょう) 、推論や普遍化という要素も含まれているからです (左脳型の人にとっては得意なところです) 。ティーカップの実験は、オッカムのかみそりのようなものです (訳注: オッカムのかみそりとは、無用な複雑化を避け、もっとも簡潔な理論を採るべきという原則を示す言葉)。私たちの経験のあらゆる側面について、その実際の姿を明らかにするわけですが、そのために使われる道具や仮定はとても少ないです。ティーカップを見るという経験は、色と形によって100%説明できるということが、実験では理解されます。つまり、「外側」に独立したかたちでカップが本当に存在しているのだと仮定する必要はないんです。そうしたことは、分析的な傾向がある左脳タイプの人たちには、わけもないことです。こうした実験で左脳タイプの人たちが得る認識は、鋭く、劇的で、覆すことができないものになることもあるんです。

Q. Standing as Awarenessの25ページには、現れは自力では活動できない、と書かれています。神経科学では、いろいろなやり方で (たとえば、脳の特定の部分を電極で刺激して記憶を喚起するなど) 、長期記憶が海馬に収容され、海馬に存在しているということが立証されています。そうした長期記憶は海馬に収容された後、視覚や聴覚や嗅覚など、記憶の特定の要素間の結びつきを創りだすというのです。(サイエンティフィック・アメリカンの記事 (英文) を参照)

A. 神経科学者の語彙は、ひとつの作業モデルとしては役立つもので、そうした語彙によって研究が可能になります。ですが、自己探究では、自分の直接的な経験に合致するものはなにか、ということを探ります。記憶が海馬に存在しているということを、私たちは直接的に経験しているでしょうか? 記憶や細胞を実際に経験して、その上で、南京虫が絨毯に隠れるように、記憶が細胞に入るのを見ているのでしょうか? この点について、私は以前詳しく書いたことがあります。

Awareness and Brain (翻訳はこちら)

Q. では、何が記憶を喚起しているのでしょうか? あなたが言っているのは、こういうことでしょうか? つまり、どんな思考や感覚が現れたとしても、それは、直前の思考や反射や行動傾向や条件づけなどがきっかけになったわけではなく、そこにはどんな原因もないんだと。明白な理由はまったく何もなく、ただ現れるだけだ、ということですか?

A. 心理学者がとる方法も、素晴らしいものです。反応の経路や、原因と結果というような考え方が使われますね。何かの役には立つでしょう。でも、自己探究では、直接的な経験によってなにが示されているか、ということを調べます。あなたの質問は、こういうことだと思います。

「ある現れが、別の現れの原因になることはあるだろうか? そのようなことを、私たちは直接的に経験していると言えるだろうか?」

直接的な経験にしたがって、考えてみましょう。たとえば、複数の現れが次のように現れたとしましょう。

現れ1: 義理の母についての思考
現れ2: 不安感

現れ1と現れ2の組み合わせが過去に何度も生じているとします。現れ1が、現れ2を生じさせているように感じられます。因果関係がわかったぞ!と考えるとしましょう。そのとき、直接的に経験されているのは、次のようなことです。

現れ1: 義理の母についての思考
現れ2: 不安感
現れ3: 結論「そうか!義理の母について考えると不安になるんだ」

でも、わかるでしょうか。原因がわかったとは到底言えないんです。現れが余計にひとつ加わっただけの話です。この点についても、詳しく書きました。

More about Inner Structure of Awareness (翻訳未)

== 翻訳は以上 ==

次がこのインタビューの最後のパートとなる。グレッグの個人的な体験や、観照が実は信用詐欺のようなものだということなど、なかなか面白い。

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