放棄と恩寵 トニー・パーソンズ

 
ジョーン・トリフソンが、トニー・パーソンズの言葉を引用していた。和訳してみた。

「神」という言葉を使ったりしているのを見ると、けっこう古い時期のものだろうか。トニーらしく一見過激なことを言っているようにも感じられるが、ここに表されている愛はかなりストレートだ。

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私が話しているのは、あきらめる勇気、死ぬ勇気、手放す勇気のことです。悟りとよばれているものを手に得るという考えさえも放棄する勇気です。

さらに大変なことですが、自分をより良くするとか、自分はどうあるべきかという考えをも放棄する勇気について、話しているんです。

私のミーティングに来て話を聞いている人たちのなかには、菜食主義を捨てて、太って、心臓病で死んでいく人が結構います。でも、それは問題ないと私は言っているんです。なぜって、人は死んだとき、何の理由もない歓喜になるからです。

だから、あきらめる勇気を持つことです。本当にそうなんです。

自分が至るべき境地はどんなものかとか、その境地にどのように至るべきかとか、そうした観念や考えを全部捨ててしまうこと、それはとてつもないことです。そういうものを全部手放すことができるということは、大変な勇気が必要です。

瞑想を30年も続けてきた人は大勢いますが、そんなことはまったくの時間の無駄だったということを彼らは理解しつつあります。

でも一方で、彼らは素晴らしいことも耳にしています。それは、人生という現象をとおして自分がやってきたことすべてが、まったく完璧で適切だったということです。

すべてが〈最愛のもの〉です。すべては神です。あなたが恩寵のなかにいないということはありえません。

あなたについてのすべてが、完全に絶対的に完璧に適切です。自分のこんなところは良くないなあと思っているようなこと、そのすべてが無条件に適切なんです。

神は神経質でありたいだけです。それも現れというゲームの一部です。自分には醜い部分があると思っているかもしれません。でもそれは美しく、素晴らしいものなんです。

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言うまでもないが、手放す勇気を持とうかなとか、今はやめておこうかなといった選択ができる人は存在しない (そもそも人は存在していない) というのが、トニーの基本的なメッセージだ。「誰もいない場」で不完全の完全性というメッセージを伝えつづけるというシュールな現象ということになるが、そこには愛を感じてしまう。

ちなみに、トニーのレジデンシャルには3回参加したが、ほとんどの食事が菜食料理だった。毎回ラウンジに置いてあるチョコチップクッキーを食べ過ぎることがなければ、太ることはなさそうだ。

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