依存症について (6) ジョーン・トリフソン

 
ジョーン・トリフソンの文章「Addiction (依存症) 」を翻訳・紹介している6回目で、これで最後。(その1その2その3その4その5)

== 以下、翻訳 ==

気づきをベースとした方法を知りたい人には、私自身の本を勧める。私の本のすべてにおいて、依存症について詳しく語っている。それから、私のウェブサイトOutpourings (ほとばしり) のページにある文章 Exploring What Is も勧めたい。またこの種の方法についてもっと知りたい方には、推奨図書リスト にある数々の他の著者を勧めたい。エックハルト・トール、トニ・パッカー、ジェフ・フォスター、ペマ・チョドロン、ジョン・カバット=ジン、ジョーコー・ベック、ガンガジ、ベンティーニョ・マサーロ、S・N・ゴエンカ、アントニー・デメロ、アジャーン・スメド、チェリ・フーバー、ティク・ナット・ハン、クロード・アンシン・トーマス、ニルマラ、アジャシャンティ、ジョン・バーニー、そしてJ・クリシュナムルティといった人たちだ。

何であれ、瞬間瞬間に起こっていることは、無数の原因と条件付けの結果だ。すべてはあるようにある。なぜなら、宇宙全体があるようにあるからだ。ある身体・精神は、別の身体・精神よりも荒天であることが多い。それは、都市によって気象条件が異なるのと同じだ。私たちのそれぞれが、宇宙全体を包含している。聖人と罪人とを。依存症と依存症からの解放は個人的な欠陥や達成ではないこと、そして、生じていることが何であっても、この瞬間にそれはまったくそのようにあること以外の可能性はないということを認識することによって、本当に大いなる自由がもたらされる。これは、原理主義的な非二元論と最先端の神経科学の双方が一致している認識だ。どこにも分離はなく、コントロールしている独立した自己というものもないということが本当に分かると、起こることを個人として受け止めることは一切なくなる。これはとてつもない解放だ。自由をもたらすこの認識に関しては、私の本すべてと、推奨図書リストにあるダリル・ベイリー、ゲイリー・クロウリー、レオ・ハートン、ネイサン・ギル、ウェイン・リカーマン (彼自身が回復中の依存症患者だ) 、セイラー・ボブ・アダムソン (自身の依存症とAAを通しての回復について率直に語っている) 、カール・レンツ、トニー・パーソンズの著書、それからこれも推奨図書リストにあるが、神経科学者であるデイヴィッド・イーグルマンのIncognito (邦題は『意識は傍観者である―脳の知られざる営み 』) と、マルコム・グラッドウェルのOutliers (邦題は『天才! 成功する人々の法則』) を勧めたい。明確に理解されたとき、この視点は計り知れない自由をもたらす。

依存症についてさらに知りたい人には、ジェフ・フォスターの著書The Deepest Acceptanceの依存症に関する卓越した章、The Guru Papersという本の中の依存症に関する章、そして非二元性に関するJ. マシューズの著書Radically Condensed Instructions for Being Just as You Are (あなたがある通りにそのままあるための徹底的に凝縮された教え) の最終章Summary and Conclusion (まとめと結び) を勧める。三冊とも、私の推奨図書リストにある。関連リンクのページの中では、ジェニーン・ロス、Beyond Recovery (フレッド・デイヴィスのサイト)、ガボール・マテ、スコット・キロビー、ポール・ヘダーマン、The 12-Step Buddhist (12ステップの仏教徒) 、キーラ・ヴァン・ゲルダー、ケヴィン・グリフィン、スザンヌ・フォクストン、メル・アッシュ、ラビ・ラミ・シャピロのサイトに目を通すといいだろう。彼らすべてが依存症や強迫的衝動について書いており、12のステップの視点から書かれたものもあれば、他の視点から書かれたものもあるが、いずれもが個人的経験に基づいたものだ。その独断性やAAに対する嫌悪は好きではないし、依存症に関する主張のいくつかや、たびたび顔を出す私の大嫌いな彼の右翼的な政治観には賛成できないのだが、ジャック・トリンピーの本 Rational Recovery (理性的な回復) にはいくつかの有益な洞察が見られる。トリンピーの本の中でもっとも価値があると私が感じた鍵は、これだ。「依存している対象を摂るのを止めない理由があるとしたら、それはどんなことだろうか? この質問に対して現れる答えが何であれ、それは〈依存症の声〉が発する音だ」 トリンピーの方法は、〈依存症の声の認識〉を軸としており、AAとは逆に、無力さと明け渡しのかわりに、力をつけること及び責任を強調する。トリンピーのRational Recoveryに代わるものとして、Smart Recovery (スマートリカバリー) というものがあり、それはトリンピーのものに似ているが、独善性やAAに対する反感、右翼的な政治姿勢は無い。洞察や気付き、そして自分で責任をとる力を育むことを強調する他の世俗的 (あからさまにスピリチュアルではない) 方法においては、認知行動療法、アクセプタンスアンドコミットメントセラピー (受容とコミットメント療法、ACT) 、弁証法的行動療法 (DBT) 、マインドフルネスをベースとした認知療法、ゲシュタルトセラピー、交流分析、バイロン・ケイティのワーク、EMDR (眼球運動による脱感作と再処理法) 、その他様々な療法で提供されているツールが使われる。

依存行動がない人生など耐えられないとあなたは感じているかもしれないが、私の経験によれば、実際はその正反対だ。そして、もしこの瞬間にあなたが依存的な行動を止められないとしたら、批判も抵抗もなくその行動を見ることはできるだろうか? あなたが雷雨や抽象画を見るときと同じように。このすべてに、好奇心と愛をもって臨むことは可能だろうか? こうした習慣的な行動がどんなに執拗で魅惑的かということに気づき、そのことに気づくことによって、そうした行動のとりこになっているすべての人たちに対する思いやりを持つことは可能だろうか? こうした習慣が、目覚めている時はいつでもどれほど無力であり存在していないかということを、自分の直接の体験によって発見することも可能だろうか? 結局のところ、この目覚めが自分の無力さを認識することによって起こるのか、責任をとる力と賢い選択をする力を育むことによって起こるのかは大して重要なことではない。東に向かってずっと旅していけば、いつかは西につくし、その逆も言える。この瞬間に自分に響き、自分に役立つ方法や視点を見つけることだ。次の瞬間にはまったく違っているかもしれないのだ。

もしかしたら、私たちが依存症と呼んでいるものが、生の絶えず変化し続ける動きの中の思考ではつかまえられない出来事であり、それは夢に似た見かけの中の過ぎさる瞬間であって、また、傷つけられたり束縛されたりしている人は誰もおらず、〈ここ・今〉を避けることはできない、ということに気がつくかもしれない。J. マシューズがこう書いたように。「あなたがべろんべろんに酔っ払っていて、まったく情けない状態で、完全に理性を失っている時でも、そんな時であっても、あなたはこの一点の曇りもない神聖な完璧さから抜け落ちることはできないのだ」 そしてまた、同時に、この神聖な完璧さに気づいているとしたら、それはこの上なく素晴らしい贈り物だ。さあ、私たち皆が今ここで、あらゆる形の依存症という束縛から目覚め、まさにこの瞬間にここにある生き生きとした生の姿と自由に気がつくことができるかどうか、確かめてみよう。

(完)

== 翻訳は以上 ==

最後のJ・マシューズの引用には感動した。

ジョーン・トリフソンは、最近 Nothing to Get, Nothing to Grasp という文章をウェブサイトで発表した。コンパクトにまとまっていて、わかりやすいため、これを次に翻訳してみたい。

そのあとは、いつになるか分からないが、The Simplicity of What Isという少々長い文章を翻訳する予定。

(2012年12月14日追記: 原文が改訂されたのに合わせ、推奨する本の部分にジェフ・フォスターについての記述を追加した)

(2015年7月18日追記: ジョーン・トリフソンの初の邦訳書が発売されています。『つかめないもの (覚醒ブックス)』)

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