ロジャーのセッションを受けたこと

 
昨日の午後、ロジャー・リンデンのところに行き、一対一のセッションを受けた。セッションと言っても決まったやり方があるわけではなく、要するにロジャーの時間を一時間もらえるという話だ。

彼の家では水まわりの改修工事が進んでいた。ガタガタとうるさく、工事の人の携帯が何度も鳴る (何時代?と言いたくなるような着信音で、しかも音量マックス) という環境。

更に、ロジャーは十日ほど前に転倒したということで、顔面にひどいあざができていて痛々しかった。

そんなことで落ち着かなかったが、軽く世間話をしていると不思議とあまり気にならなくなった。

先週末まで行っていたトニー・パーソンズのレジデンシャルのことを話したが、面白いことに、ロジャーはトニーの表現をいくつか挙げて (「ここには誰もいない」「何もない」)、そういう言い方は本当はちょっと違うんだ、ということを言っていた。

どう違うのかは、全くわからなかった。が、トニーの表現では漏れることがあるんだ、ということを言っているような印象を受けた。

話の中心になったのは、自分というものは経験の一部であって、それは経験の主体ではなく、経験されているものなのだ、ということだった。

このことはロジャーが過去に何度も話していることで、耳に入ってきても「ああそれか」という反応になってしまうのだが、今回もそうだった。

その何がそんなに重要だというんですか?と尋ねたが、彼の答えをあまり思い出せない。ただ、ひとつ覚えているのは、ルビンの壷の絵を僕に見せて、こう言ったことだ。

「ここに花瓶がある。人によっては、二つの顔が見える。

 ヒロにはどっちが見える? 顔だね。

 でも、本当にヒロが見ているのは、何か?

 それは、この紙なんだよ」

そこでガーン、となったのだが、何のガーンだったのか全く思い出せない。ただ、かなり愉快な気分を感じたのは確かだ。

それから、探求というものは勝手に始まるが、それが終わるかどうかということに関して何のコントロールもできないのは困る、というような話もした。

前回のセッションでも同じことを言ったのを覚えている。その時は、身体の中にあるその探求の感覚 (何かを掴みたい!何かが欠けている!) を感じることを促され、そうしているとかなり楽になった。

今回何を言われたのかは、これまた全く覚えていない。

が、ロジャーの家を出て坂道を登りながら、鼻歌を歌っている自分に気づいた。

追記: 一時的にコメント不可にしています(海外からの迷惑コメントが多いため)

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