翻訳してみたい本

 
今、ある本の翻訳を進めている。薄めの本だから一ヶ月か二ヶ月で終わるだろうと思っていたが、稀にみる怠け癖が出たり、他のことに夢中になったりで、開始から五ヶ月たっても完了していない。我ながら呆れてしまう。

そんな状態なのに、次に翻訳したい本のことを考え始めている。

そもそも言葉で表現できないことを表現することに意味があるのか、という思いもあるが、日本語にしてみたいという思いも強い。そんな本をいくつか紹介したい。

まず、ジョーン・トリフソンの著作。

Nothing to Grasp これは、ジョーンのメッセージをコンパクトな文章にまとめたもので、エッセンスが詰まっている。2012年夏に出たジョーンの最新刊。ミーティング形式の方が彼女のユーモアが表現されていて好きなのだが、これはこれで直球型でいい。

Awake in the Heartland: The Ecstasy of What Is ジョーンの足跡を綴った本。各教師との出会い、別れ、迷い、気づきなど、とても多彩な内容。あまりに正直に書かれていて戸惑う点もあるが、最後には、それも含めて完璧なのだという感じに打たれた。ストーリー満載であるにもかかわらず、そのストーリーと一体化していない背景が全体を貫いていて、不思議な味わい。

Painting the Sidewalk with Water ジョーンの比較的新しい文章とミーティングの記録が合わさった厚い本。ジョーンの話を全く聞いていなかったかのような質問が続出していて苦笑するが、それに対し辛抱強く丁寧に、かつユーモアを交えて答える様は感動的でさえある。ニサルガダッタやラマナの本にあるような微妙に権威的な香り (それを感じるのは自分だけ?) が全くなく、平易な言葉でハッとするような言葉が連なっている。

Death: The End of Self-Improvement 未刊行につき読んでいないが、ジョーンによると、Awake in the Heartland以降を扱ったエッセイ集のようだ。待ちきれない。2013年発売予定とのこと。

次にリック・リンチツ。

No You and No Me リックの語りを聞いていると、自分というものが勘違いで成立しているという感じがありありと伝わってきて、笑ってしまう。この本は、主にリックのミーティングの模様を収録したもの。巻末にキャサリン・ノイスさんとのインタビューが収められていて、それも面白い。比較的短い本だが、何度も読みたくなる。

それから、ネイサン・ギル。

Already Awake この分野 (現代の西洋のノンデュアリティ的表現) の古典とも言える本。質問者の思い込みの本質が、容赦なくユーモアを交えて暴かれていく様子は痛快。

Being: The Bottom Line Already Awake刊行後のネイサンの気づきを元に書かれた本で、多少色彩が異なる。悟りや覚醒というものが特別なことではないということが、繰り返し語られる。

他にも、グレッグ・グッドのThe Direct Pathや、トニー・パーソンズのNothing Being EverythingAll There IsAs It Is、それからレオ・ハートンのAwakening to the Dreamやリチャード・シルベスターのI Hope You Die Soonといった非常に興味深い本もある。

が、どちらかと言うと、覚醒や悟りというものを求めるマインドの性質というものに焦点を当て、そのことを上手く表現している上記のような本に魅力を感じている。 その意味では、クリシュナムルティの『自我の終焉』一冊さえあれば済むという感じもするが、クリシュナムルティの場合はユーモアに欠け、濃厚すぎ、しかも自由なオープンさという味わいがあまりないという嫌いがある (自分だけ?) 。

次の翻訳というのが実現するのかどうか分からないが、僕が携わらなくても、どこかの誰かがやってくれるといいなあ、と思う。

ちなみに、ルパート・スパイラについては、最新刊 Presence の日本語翻訳予定があるという噂を聞いた。これも楽しみだ。

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