悟りとは その1 ジョーン・トリフソン

 
ジョーン・トリフソンが「悟り」(Enlightenment) という題で書いた文章を紹介したい。ジョーンのウェブサイト(joantollifson.com)に掲載されている。

まず紹介する最初の部分は、いろいろな人が悟りや覚醒について語っていることを集めたものだ。

読むと分かるが、いろいろな定義、いろいろな表現があって、共通点を見いだすのが難しい。これに続くジョーンの文章でそのあたりが扱われているが、それはまた追って翻訳してみたい。

Enlightenment

== 以下、翻訳 ==

真我実現 (自己認識) とは、新たに得るべきものはないということです。真我実現は、自分はまだ真我を実現できていないという誤った考えから解放されることによって成り立ちます。
ラマナ・マハルシ

あなたの目の前にあるものがそれであり、十二分にそれであり、まったく完全だ。その他には何もない。もし、あなたが菩薩の悟りへの道のすべての段階を一つ一つ歩むとしても、最後には、一度の一瞥で完全な認識を得るのだが、そこで認識することは、仏性が常にあなたと共にあったということであり、また、歩んできた段階を通じて付け加えられてきたものは一切何もなかったということである。
黄檗

悟りは、唖然とするほど単純なものだ。悟りとは、あるがままの我々のことだ。得るべきものは何もなく、そのことを認識するだけだ。悟りに目覚めるということは、ここからここへの旅であり、ここからあちらへの旅ではない。向かうべき場所はどこにもなく、獲得すべきものは何もない。悟りとは、ただ、すでに最初からそうだったものに目覚めることだ。我々自身の無知の本質を見抜くこと、それだけだ。
ゲイリー・クロウリー

迷妄を完全に認識した者は悟りの境地にあり、認識について大いに思い違いをしている者は凡夫である。
道元

真理の発見は、偽のものを識別することにある。ないものについては知ることができる。あるものについては、それであることしかできない。
ニサルガダッタ・マハラジ

客体のみが「束縛」され得る。主体は、束縛されることも、解放されることも、傷つけられることも、褒められることも、触れられることも、放っておかれることもできない。自由で、我々は一番目のもの、すべての客体の中の一番目のものではなく、零だ。すべての客体に対する、普遍的で絶対の主体なのだ。
ウェイ・ウー・ウェイ

変化を要するものはいずれも、思考、観念、幻影だ。あなたは改善したい、変わりたいと強く望んでいるかもしれないが、あなたがあなたであるものから離れる方法は、今も今後もずっと存在しないのだ、ということを本当に見てみなさい。あなたがすでにそうなっているものになることは決してできない。コーヒーの次のひとくちの価値は、悟りの至高の経験に劣るものではないのだ。
カール・レンツ

何が起ころうと、あるのは〈存在〉だけだ。誤ったことをするということはありえない。なぜなら、何ごとも、誰も、どこかにいくことはできないからだ。「あなた」は、自己認識への旅を続けるキャラクターではない。それはすべて、見かけが演じる劇なのだ。
ネイサン・ギル

スピリチュアルな悟りを望んでいるとき、たいていの場合、そこで実際に望まれているのは、ありのままの自分を避けること、存在することの痛みと混乱を避けることです。けれども悟りとは、そういったことを避けることはできないと認識することです。
ダリル・ベイリー

悟りの前、私は落ち込んでいた。悟りの後、私は落ち込み続けている。くつろぎや敏感さを離れて目的を達することはない。リラックスしようとして緊張してしまう人たちのことを聞いたことがあるだろうか? もし緊張しているなら、その緊張をただ観察することだ。自分を変えようとしているなら、自分を理解することは絶対にできない。自分を変えようと努力すればするほど、状態はもっと悪くなるものだ。気づくように促されているのだ。
アンソニー・デ・メロ

悟りはこういうことでしかない。完全に今にあること。私たちのマインドのつかもうとする性質を認識すること。そして、そのつかもうとする性質に基づいた行動をしないこと。悟りとは、自分を分離したものとして見ないこと、欠けているものとして見ないこと、ものごとを仕切っているものとして見ないこと、弱く無力なものとして見ないことだ。
スティーブ・ヘイゲン

得るために時間を必要とするものがあるとしたら、それは間違いなく偽物だ。本物は、常にあなたと共にある。あなたであるものであるために、待つ必要はない。マインドが探し求めるためにあなた自身から外に出ていくのを放っておいてはいけない。
ニサルガダッタ・マハラジ

スピリチュアルな覚醒は、新たな経験を必要としません。スピリチュアルな覚醒とは、既に起こっていることをただ明確に見るということです。
ダリル・ベイリー

悟りとは、何か神秘的なことを突然認識するというようなことではない。悟りとは、幻想から目覚め、生の現実に戻ること以外のなにものでもない。
内山老師

覚醒とは、要するにただここにあるということだ。
ジョン・バーニー

生と死を免れない生命の無数の形態を超えて、永遠で絶えることのない〈一なる生命〉がある。それを表すのに神という言葉を使う人は多い。私はたいていそれを〈存在〉と呼ぶ。〈存在〉の自覚を取り戻し、その「感じている認識」の状態にとどまることが悟りである。
エックハルト・トール

悟りは、私たちが理解できるようなものでも、考えることによって得られるものでも決してない。だから、何かを解き明かす必要があるという考えを捨て、今あなたがある通りにただいることだ。さらに求めることなく。理解しようとする傾向を緩めるのだ。
ベンティーニョ・マサロ

覚醒とは、邪魔になるようなフィルターを通さずに、リアリティを直接的にただ知覚するということだ。何の投影も、信念も、解釈も通さずに。知覚している主体ですら消える。あるのはただ知覚だけ、目覚めだけ、活動性だけだ。私は目覚めたと言うということは、その人が、私たち皆がその中にある、この活動性、この実在、この光り輝く存在の領域を認識し、味わい、一瞥し、あるいは感じたことを意味する。それは、ものごとがあるそのままの状態から決して分離していない。あなたがそのリアリティの中にあるとき、あなたがその知覚を基にしているとき、ここには何の分離もなく、光り輝くような相互のつながりのこの浸透するような感覚だけがある。覚醒とは、このリアリティを何度も何度も何度も認識するプロセスだ。だから、覚醒は一度きりの発見ではなく、終わりのない再発見であり、私たちであるところの、私たちがずっとそうだったところの、この光り輝く活動性の中へ絶え間なく深めていくことなのだ。
ジョン・バーニー

真実、あるいはリアリティは、蓄えることはできないし、集めることもできない。それは、積み上げられるものではないのだ。どんな洞察も理解も認識も、その価値というものは、この瞬間の絶えず新しい実在の中にしかない。昨日得た理解は、まるで真正なものではない。それは終わったものであって、すでにその生命を失っている。洞察や理解や認識にしがみつこうとしたり、持ち続けようとすることは無駄なことだ。それは、動きの中でのみ、真実やリアリティに関する絶えず新しく使いふるしでない洞察があらわれるからである。悟りや自己認識というものは、一度だけの出来事だ、あるいは持続する永遠の状態や経験だといった認識は、誤った概念だ。理解すること、あるいは識別することは、何を媒介することもなく活動しており、それを否定することは決してできない。ここで強調しているのは、識別することという活動であり、たった今、介在物なしで直接のものとして起こっていることだ。それは、誰かが理解しているとか知っているというような、すでに死んでいる概念ではないのだ。
セイラー・ボブ・アダムソン

覚醒は、継続するプロセスだ。一度覚醒してそれで終わりということはない。覚醒ということに限度はない。活動性に限度がないのと同じだ。あらゆる新しい発見の中にある驚きのその中にある驚きは、さらにまた発見すべきことがあるということだ。
デイヴィッド・スタインドルラスト修道士

== 翻訳は以上 ==

その2はこちら

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悟りとは その1 ジョーン・トリフソン」への3件のフィードバック

  1. こんばんは。初めまして。

    一ヶ月ほど前からスペースまほろばの中野さんのHPでこちらを知り、拝見しております。
    たくさんの覚者のことばを翻訳して紹介していただけることは、大変勉強?(というと変かもしれませんが……)になります。
    いつもありがとうございます。

    私は英語が読めないのですが、最近ジーン・クラインの「WHO AM I」が気になっており時間はとてもかかると思うのですが読めるようになれたらなと思っております。

  2. nomuさん、コメントありがとうございます。

    自分がその時々で興味をもった表現を気の向くままに翻訳しているだけなので、読まれる方からすると、どういう脈絡で、と感じられるかもしれませんね。自分にも、何をしてるんだか今ひとつ分かっていません。

    Jean Kleinには、ぜひ取り組んでみてください。ダイレクトでシンプルながら詩的な香りがあって、独特の印象があります。

  3. ヒロさん

    ありがとうございます。エネルギーが湧いてきました。
    僕も今日、無門関という公案集を読んでいて、なんでこんなことしてるんだ?
    と思っていました。
    でも、それでOKですよね。
    また拝見しますね。

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