紅茶とケーキ リチャード・シルベスター

 
リチャード・シルベスターのウェブサイトのエッセイを紹介するシリーズの最後。

==以下、翻訳==

紅茶を飲み、ケーキを食べる

解放が認識されると、人生はそれほど複雑なものではなくなる。人生を活気づけていたストーリーがすべて落ちてしまうと、〈これ〉のシンプルさだけが残る。そのシンプルさのなかで、人生のちっぽけで平凡なことがついに楽しめるようになるだろう。私にアドバイスがほしいと言ってくる人は多いが、たいてい私は断っている。でも、もし何かアドバイスをするとしたら、こうだ。リラックスして、自分が好きなことなら何でもいいからシンプルなことを楽しんでみたらどうだろう。日常が楽しめるようにならない限り、〈これ〉の奇跡は見落とされてしまうのだから。

禅では、「悟りの前、薪を割り、水を汲む。悟りの後、薪を割り、水を汲む」と言われる。私には「解放の前、紅茶を飲み、ケーキを食べる。解放の後、紅茶を飲み、ケーキを食べる」の方が好ましい。どちらも結局同じことなのだが。究極的には何の違いもないことが認識される。解放の前と解放の後も、眠っていても目覚めていても、どちらも同じだ。

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解放において、私たちが自分だと思っていた個人というものが、単なる見かけにすぎないということが認識される。私たちの中心、そしてすべてのものの中心には、分化していない〈存在〉があり、そこから全ての違いが顕現している。自己も、個人も、人間も存在していない。

解放について最も多い勘違いは、解放というのは個人が到達することができる何かなのだという考えだ。実際は、解放とは喪失だ。解放というものをもたらすために何らかの行為をすることができるような分離した個人というものが存在している、という感覚を喪失することなのだ。

分離はなかったということが認識されると、個人に結びついている弱さや恐れの感覚が落ち、ただ起こっている生の驚異だけがそこに残る。意味が落ち、その代わりに、そこには灰色の木の幹で、足を広げ、頭を上げ、あなたをまっすぐ見つめながらじっとしているリスがいる。目的が落ち、その代わりに猫の毛の驚くような手触り、そして小枝を這うアリの素晴らしい動きがある。

人生は自分がコントロールしていて、どうにか人生を進めていかなければいけない、という感覚がなくなると、生はただ生きられるようになり、安らぎに包まれる。何が起ころうと常にくつろぎがあり、何か別のものを得ようとすることはなくなる。

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分離の感覚を癒すために何かをすることができる誰かが存在している、ということを言う非二元性の教師たちは多い。言いかえれば、彼らは、自分が人間ではないということを発見することができる人間がいるのだと言うのだ。このような考えの馬鹿らしさは、大抵は非常に複雑で微妙な思考によって誤魔化される。

非二元性に関する教えにおいては、漸進的なスピリチュアルの道を進むことによって解放が実現されるという魅惑的な考え方がしばしば伝えられる。このような考え方は、実際には非二元性とは関係がない。そうしたものは、非二元性について説得力はあるけれども無意味なストーリーを示しているにすぎない。

このようなストーリーから、多くの道、教義、手法、グル、教師、マントラのセールスマン、ワークショップ、グループが生じ、それらはスピリチュアル商店街を構成している。

どんな探求をしたとしても、人は以前よりも快適になる可能性がある。それ自体は別にいい。が、そうしたことによって得ることができるものといえば、以前より快適になった人だ。牢獄の中で。もし人が投獄されているのであれば、快適であるほうがずっといいだろう。だが、どれほど快適になったとしても、自分が入っていると感じている牢獄から出ることはできない。

どんなことをしても、人が牢獄から出ることは不可能だ。というのは、人が牢獄だからだ。人が落ちたとき、そもそも牢獄があったことなど一度もなかったのだということが認識される。

そして、「私」も「あなた」も光であり、その光の中ですべてのものが生じているのだということが分かる。

== 翻訳は以上 ==

トニー・パーソンズ並みの辛辣な表現も混ざっていて面白い。「スピリチュアル遊園地」とか「スピリチュアル商店街」とか、TM(超越瞑想)や自己啓発セミナー、人間性心理学などに何十年も携わってきたリチャードならではの辛辣さだ。

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紅茶とケーキ リチャード・シルベスター」への4件のフィードバック

  1. はじめまして。ごらんになられたかもしれませんが、下記添付の回のコンシャスTV、ゲスト出演者の顔ぶれとそのかけあいがおもしろかったです。ティム・フリークさんとリチャード・シルベスターさんのキャラの違いとか。デヴィッド・ビンガムさんの朴訥な感じとかも印象的でした。コンシャスTVにはデヴィッド・ビンガムさんの動画も複数あって、語り口も興味深かったです。>http://www.youtube.com/watch?v=vyO9E1hQxKQ

  2. 覚醒者はよく「解放の前と解放の後も、眠っていても目覚めていても、どちらも同じだ」といいますね。でも、行為(外側)は同じでも精神(内側)は全く違うと思います。
    それを、同じだと言われると、イラッとします。
    (なぜ、イラッとするかは分かっているつもりですが)

  3. としさん、初めまして。コメントありがとうございます。

    このパネルディスカッション、僕も先週あたりに初めて観たのですが、確かに対照的で面白いなあと思いました。こうした形式の場合、どの人も微妙に話しづらそうなところも面白いです。

    個人的には、もっと違いに焦点をあてた進行にしてほしいところですが、あまり煽ると誰も出なくなるのかもしれませんね。

  4. KOJIさん、コメントありがとうございます。

    僕もこのあたりは本当にひっかかります。そもそも本当に全く同じなら、このような形で人に対して発信したり、本まで書いたりするということはないだろうと。

    ただ、同時に、ビフォーアフターが本当に全く同じだということで、何も言わず淡々とそのまま続いている人も多いのだろうと感じています。リチャード等のように30年、40年と修行やワークをしてきた人の場合は、やはり前後の違いが大きくて、何か表現するということになるのかなと考えてしまいます。違いがあるのに全く同じ、本当に謎ですが。

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