山梨、イギリス、ロジャー、トニー

 
最後に記事を書いてから三ヶ月以上経った。

その間に、東京から山梨に引っ越した。東京から離れるということは、この二年くらい、現れたり消えたりするテーマだった。

それが何を意味しているのかは今も分からないが(意味をつかもうとする元気がない?)、子どもを普通の公立から自由教育の楽しそうな学校に転校させる、という自分でも一応納得できそうな展開に乗った形。

新しい家を決めるとか、二台目のクルマを買う(山梨では大人一人につきクルマ一台が標準)とか、地域独特の交通マナーに慣れる(右折車が変なタイミングでつっこんでくる、赤信号になってから数秒間は交差点に入ってくる、内輪差をまるで考慮しないデタラメな右折)とか、そういうことが大体二月いっぱいで済んでから、久々にイギリスに来た。

この三ヶ月くらいは、覚醒だの非二元だのといったことを殆ど忘れていて、たまに本を読もうとしても興味が続かず、それはそれでいいかと思っていた。

だから、ミーティングとリトリートのためにイギリスに三月に行くという昨秋に決めていた予定が近づいても、消化試合のような気持ちでいた。

ロンドンに着いてみれば少しは盛り上がるかな、という期待も裏切られ、いつもはなぜかうきうきしてしまう地下鉄でも俯き気味になりつつ、ロジャー・リンデンの家に向かった。

これで確か四回目くらいだが、今回はミーティングの前に、一対一のセッションをお願いした。昨年フィンドホーンでのリトリートのときに彼のセッションを受けた。今回は二回目になる。

覚醒とか非二元ということに興味を持ちだして以来、それを待つということが中心テーマになってしまい、他のことが色あせてしまって、どうにも面白くない、というようなことを話した。

ロジャーは非二元の先生であると同時に、伝統的な意味でのセラピストでもある。自分や世界についてより好ましい感覚を抱くようになりたいという希望は、非二元の教えの世界では「牢屋をより快適にしたい、というのと同じだ」として揶揄されることが多い。

が、ロジャーは、そうした願いがそこにあってそれに対するサポートという反応が起こるということをただ認め、それはいいことでも悪いことでもない、というあっさりしたニュートラルな姿勢を見せる。

自分としてはそれは当初物足りなく思え、存在していない個人を改善しようとする行為は全否定しないとおかしいんじゃないか、とも感じていた。が、ロジャーのセッションを受けた今は、ただ、非二元のリアリティというものを認識している人がセラピー行為をしていてくれて、とてもありがたいと感じている。

一つ印象に残ったのは、「グルも修行もトランスミッションも、なにごとも覚醒を引き起こすことは出来ない。が、ミーティングに来たり非二元の表現者の本やビデオに触れたりすることによって、覚醒が起こらないという確率が減るという見かけ上の現象は見られるかもしれない」と彼が言っていたこと。

因果関係というものはない、といつも言っている彼がそんなことを言うのは、日本から(馬鹿みたいに)はるばるやって来る可哀想な男に対するリップサービスだったか。

その日は、一度ホテルに戻ってから夕方またミーティングのためにロジャーの家に行き、普段より少ない数の参加者たちに混ざって、彼の話を聞いた。

ミーティングでは、光があるということは普段は認識しないが、光があるということ、光が常にずっとあったということは明らかであり、非二元の認識というのも同じようなところがあるということとか、自分が経験するのではなく自分は経験されているのだとか、<それ>は獲得することができない、なぜなら<それ>は既にすべてであるからだとか、「私」が終わるわけではなく、自分が「私」であるという誤った信念が止まるのだとか、そんなことがいつものように話された。

途中、数人の人が、用事があるのか話に飽きたのかは分からないが、次々に席をたって部屋を出ていった。そのたびごとにロジャーが「また今度」という感じで右手を挙げるその仕草がとても自然で印象的だった。

次の日から、トニー・パーソンズの4泊5日のレジデンシャル(宿泊込みのミーティングイベント)だった。

会場はイングランドではなく、隣のウェールズにあるリトリート施設で、ロンドンから三時間ほどかかって到着すると、何人かの知った顔に出会った。

緑の丘に囲まれて小鳥のさえずりが響く美しい場所で、盛り上がりはしないが、悪くない感じだった。

トニーの話はいつもの通りで(そうとしか言いようがない)、初日の夜に既に「またこれか」という気持ちになった。

仕方がないから、気をまぎらわせようと、食事中や休憩中に他の参加者と別の先生の噂話をしたり、出身地のどうでもいい話をしたりするが、どうにも集中できず、結局全部無意味なんだなという暗い思いに押しつぶされそうになっていた。

この施設で出される食事はベジタリアン料理で、肉も魚も皆無だった。トニーの話を聞いていると、じっと座っているだけで全然動いていないにもかかわらずエネルギーを消耗してしまうため、異常な量の野菜と果物を食べていた気がする。それに加えて休憩中の飴玉とチョコレートクッキー。ヘミシンクのセミナーを思い出した。その時も休憩のたびに甘いものをがんがん食べていた。

ミーティング中には散発的に質問が出るが(ウィークエンドミーティングと比較するとレジデンシャルでは沈黙の時間が長い)、どれに対しても思った通りだという感じの答えが返される。

よくもこんなに根気よく同じことばっかり言えるなあ、と最初は思っていたが、結局それは反応に過ぎないということが分かり、なんとなく納得した。個人が頑張っているという前提でその行為を見ていれば、ちょっと気の違った人にしか見えない。

参加者の中には、長い期間、禅とかインド系の修行の道を進んだことがある人たちもいて、そういう人たちはトニーのメッセージで強烈に解放されることがあるようで、そんな時には必要以上とも思える笑い声が響く。

自分は宗教的信念とかそういったものが希薄なため、そうした笑いとは無縁で、そんな笑いが起こるときには、「なぜここにいるのだろう」という思いにとらわれた。

「なぜここにいるのだろう」という感じは今回ずっとつきまとい、最後まで消えなかった。

結局のところ、トニーのミーティングに出るのは、彼のミーティングに出ることで覚醒した人が沢山いるらしいという話を聞いて、「自分も」というすけべ心があるからだ。

メッセージは明快で分かりやすいが、うっかり真剣に聞いてしまうと、身体のエネルギーがすっかり吸い込まれてしまって、椅子から立ち上がる元気もなくなっていることに気づく。「私」の馬鹿らしさ加減が徹底的に暴露され続けるため、「私」の抵抗も不可能になっていく。

そんな感じで弱りながら、すけべ心だけを頼りに椅子に座り続ける時間は本当に苦痛だった。

そんなことを食事中に他の参加者に正直に話すと、かなりの確率で「分かる。自分もそうだった」と返される。「過去形ということは、そのうち気分も変わるのかな」と期待してみるが、そんな日が来るとも思えず、結局疲れ切ったまま五日間のレジデンシャルは終わった。

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