エネルギーの収縮と解放 トニー・パーソンズ

 
最近よく、トニー・パーソンズの本を読んだりCDを聞いたりしています。

彼のメッセージは、絶望をもたらすと同時に(しばしば吐き気がするほどです)、ときに異常な解放感が感じられることがあります。おかしな中毒性がある感じがします。

トニーのウェブサイトにあるエッセイから、Knowing and Unknowingというものを翻訳して紹介します。語られていることを自分で理解できていないばかりでなく、日本語がこなれていないので、このようなものを出していいものかなとも思いますが、勢いです。

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アダムとイブの物語は、自己認識が生じたことによって「楽園」が失われたことを描いた寓話である。全体性(楽園)があり、その無限で自由で原因をもたないエネルギーの中に、自身を全体性(楽園)から分離したものとして経験する何かが現れたというものだ。

これは、自己意識の「物語」を指し示すたとえであり、そこにおいては、その自己意識から、見かけの上での自由意志、選択、時間、空間、目的、目標といったことの認識と経験が生じる。

「物語」が展開するにつれ、自己は「外にある世界」についての知識を身につけ、自身のためにできる限り有利にことを運ぼうと試みる。見かけの上で、自己は喜びを見出し苦痛を避けるために行為を行う。知識が増えれば増えるほど、行為、結果、個人的なコントロールという見かけ上の感覚はより効果的になっていく。あるいはそのように感じられる。

こうしたすべての努力はさまざまな結果をもたらし、個人は満足と失望というかたちで固定しない状態を経験することになる。そして、深い意味を見出したいという欲求の底に、それを駆り立てる不満足の感覚が存在していることに気づくことがある。

見かけ上の自己は、自分が認識するということを通してしか存在することができないため、より深い意味をめぐる探求は、自分が認識でき自身で経験できることにのみ限定されることになる。そうした限定の中で、探求者は、沢山の教義、セラピー、イデオロギー、スピリチュアルの教えや信念体系を知ることになる。そして、静寂、沈黙、至福、気づき、無執着といった状態を認識したり経験したりすることも起こりえるが、そうしたことすべては、日が出ては沈むように、あらわれては消えていく。

こうしたすべての教え、アドバイス、処方箋は、知ることのできないものに対する答えや、決して失われたことのないものを見つけだす方法を探求者に与えようとするものだ。

このようにして、個人は、自分で知ったりおこなったりすることができると思えることなら何でもしようとする分離した探求者となるが、自身の不在ということはその例外となる。自身の不在は、知ることのできない空であり、また逆説的だが、それはまさに完全性、求められていた全体性(楽園)なのだ。

見かけ上の探求者が、分離の本質を徹底的に明らかにし、探求の崇高な無益性を妥協なしに暴露するような知覚と遭遇した場合、分離した自己という構造物が崩壊することがある。まったく個人に向けられていないそのメッセージは、無限のエネルギーを伴っており、個人の収縮したエネルギーはそのなかへと広がっていく。自己認識を超えた共鳴が生じ、筆舌に尽くし難い何かが感じられ、知らないということの不可思議さの香りと、その不可思議さへの開放が現れる。

不意にシフトが起こり、最初から全体性があったのだという非個人的な認識が起こる。無限で、むきだしで、無垢で、自由で、驚嘆すべき、存在のシンプルさが、元からあったすべてなのだ。それは平凡の中の非凡であり、そして、それを描写することはできない。

トニー・パーソンズ

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トニーは、ミーティングでは下品なものも含めて冗談を連発しますが、このエッセイでは詩的で美しい雰囲気も醸しだされています。

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エネルギーの収縮と解放 トニー・パーソンズ」への2件のフィードバック

  1. トニーパーソンズの翻訳ありがとうございます!これから読みます。

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