SANDカンファレンス2011 その1

 
SANDカンファレンス2011のため、カリフォルニアに来ています。昨秋に続き、2回目です。

Science and Nonduality Conference 2011

公式日程は10月21、22、23日の三日間ですが、その前後にワークショップが開かれています。昨年はがつがつと前に二日間、後にも一日という感じでフルに参加しましたが、今回は公式日程以外は前の一日だけにしました。

その公式日程前のワークショップとして、今回はルパート・スパイラとウンマニのものを選びました。

ルパートのワークショップで印象的だったのは、話の指し示す先はこれまでに僕が出た彼のミーティングの時と同じはずですが、言葉の選び方がよりシャープというか、逃げを許さない感じであったことです。

例えば、分離した「私」はどのように生じるのでしょうか?という質問に対し、彼はちょっと間をおいた後、「その質問があるためです」と短く答えました。

これまで聞いていた彼の答えのパターンとだいぶ違ったため、意表をつかれた感じがしました。目には見えない磨かれた鏡を突然目の前に突きつけられたように感じました。

それから、彼が通常Awareness(気づき)とかPresence(実在)と呼ぶ<それ>について、別の呼び方を紹介していたのも面白いことでした。

それは、Unnamed no thing which is not nothingというものです。訳すとすれば、「名がなく、どんなものでもないもので、無でもないもの」となるでしょうか。Consciousness、Awareness、Presence、Being、Oneness等といろいろな呼び方をされる<それ>ですが、何の先入観もありようがないという意味で、この呼び方もなかなかいいなと思いました。(と言っても、言葉の話なので結局そこまでですが)

3時間半にわたるものだったのに、たいして内容は覚えていないのですが、架空の自己(通常これが自分と思っている「私」)が非二元の諸々の概念を自身の永続化のために巧妙に利用するという指摘は、以前聞いた時よりも強調されていたようです。

ちなみに、言葉はとてもシャープでしたが、休憩時間に廊下で会って話したときのルパートは本当にスイートで、相変わらず幼児のようなキラキラした目がとても印象的でした。

午後は、ウンマニです。もともとフランシス・ルシールのワークショップに出ようとしていたのですが、しばらく前に気が変わって彼女のほうに変えていました。

いつものホットシート形式(質問などある人が前に出て彼女の隣の椅子に座る)で、相変わらず優しくも鋭すぎる眼差しで、ドキッとすることを連発していました。

特に覚えているのは、こんなことです。

「概念としてのノンデュアリティ(非二元)には意味がないとは分かっていても、道理にかなっているから手放すことができない」というコメントに対して、ウンマニは「もし非二元について語られている何かをあなたが理解できると思ったのであれば、それは分かってないということ。非二元というのは(マインドから見れば)狂気そのものだ」と迫力のある顔でビシっと指摘していました。

それから、自分の探求のストーリーを語り続ける女性に対し、彼女は「探求とは、me(私)に取り付かれることだ。常にmeを中心にして巡っている」と、これも厳しく言っていました。

ただ、これを言った後、「そのストーリーがないとき、たった今、あなたは誰か?」と瞳の奥を見通す目で尋ねました。すると、質問者の女性は一瞬動揺を見せた後、大きくため息をついて、何かから解放された軽さを表していました。

ウンマニのメッセージは常にラディカルで、表現も直接的、しかも逃げ場を残さない手厳しいものです。が、半端で止めないということには、トニー・パーソンズに似た愛情も感じました。

夜は大ホールでルパートの30分ほどの話を聞き、それで初日を終えました。

その2はこちら

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