何が覚醒をもたらすのか? レオ・ハートン

 
レオ・ハートンのQ&Aを紹介するシリーズです。今回は、覚醒や悟りが何をきっかけに起こるのか、というよくある疑問を扱っているQ&Aです。

http://www.awakeningtothedream.com/newsletter/nl-027.html

=====

Q.
瞑想テープ、瞑想、ボディーワーク、あるいは転倒や自動車事故のような突然のトラウマといったことによる脳内の化学的作用の変化が、覚醒をもたらすということはありえるのでしょうか?

A.
この質問で、あなたは認識(訳註:realization、真の自己の認識の意)に固有の重大なパラドックスに触れています。あらゆることが認識をもたらすことができますが、それにもかかわらず、認識をもたらしえるものは何もありません。これらの言葉は、認識というものが誰かがいつか到達する未来のゴールであると示しているように見えかねませんが、実際には、覚醒によって、未来というものも分離した誰かというものも共に架空のものであるということが明らかになります。

認識とは、時間と空間の幻想が落ちることである、と理解することもできます。脱落するのは幻想ですから、実際のところは脱落するものは何もなく、したがって、覚醒をもたらすものも、覚醒の妨げになるものも、何もありません。

これは、無力感を生み出すかもしれません。もし無力感を感じたのであれば、この無力な感じに気づいているのは何であるのかに目を向けて見てみることをおすすめします。身体・マインドや、浮かんでくる質問といったことを含むすべてに気づいているのは誰なのでしょうか、何なのでしょうか?

『Awakening to the Dream』から、あなたの質問を異なるアングルから扱っている箇所をいくつか引用します。

・これは、未来のゴールに向かっての段階的な前進といったことではなく、あるがままに根本的に目覚めるということです。このことが明確になるために満たさなければいけない条件は一切ありません。自己認識は誰にでもいつでも起こりえます。

・準備ができた状態に至るためにすべきことなどありません。それは勝手に起こり、気づきは存在していて、常に完全にそこにあったことが明らかになります。それは輝く時に輝き、注意の先を<気づき>の対象から<純粋な気づき>そのものへと移すでしょう。

・それは、賢人の沈黙かもしれませんし、お店の主人の言葉かもしれません。明け渡しは苦悩を通して起こるかもしれませんし、法悦を通して起こるかもしれません。頭に落ちてきたりんごを通して起こるかもしれませんし、子どもの微笑みを通してもたらされるかもしれません。あるいは、日没時にビーチを歩いているときに内側深くから生じることもあるでしょうし、ストーブで指をやけどしたときに起こるかもしれません。いつでも、分離の感覚が溶解して全ての二元性を超越した<一なるもの>が姿を見せるということは起こりえます。

・悟りは、困難でとてもありそうもないような、少数の選ばれた人々だけが到達できるような何かではありません。実のところは、それは獲得できるようなものでは全くなく、むしろ、それをつかめるような個々の人間というものが存在しているという幻想が取り除かれることを通して、それ自体を明らかにします。

・覚醒がどのように起こるかということについての決まった法則はありません。みなが渇望している真理という至高の目標と、それがどのような形でもたらされるかということについての先入観が問題であるのは、そのような観念が邪魔になって、探求者が求めている解放が常に完全に現存し、ただちに得られるのだ、ということが理解されなくなるからです。

=====

ここで語られている探求の本質ということについて、ダグラス・ハーディングがインタビューで語っていることが簡潔で分かりやすいので、勝手ながら紹介します。

ダグラス・ハーディングへのインタヴュー2000年

おわかりのように、私たちは「これ」に対して、巨大な抵抗があります。なぜでしょうか? なぜなら、それは、死だからです。そのあとすぐに復活が続くのですが、人々は「これ」を怖れます。私たちにはみなこの抵抗があります――ダグラスも含めて。そして、この抵抗が取る一つの形が、霊的探求を想像することで、距離を生み出すことです。人々はいわゆる悟った導師(グル)を見に行き、「彼は、向こうに完全に到達したが、私はまだ道半ばである。彼がこの旅を助けてくれるだろう」とか、「私は求道者です」と言います。しかし、彼らは、同時に、「私は自分が発見者にならないことを確信している」とひそかに自分自身に言っていることに気づきません。求道者は、発見者になることを怖れます。求道者であるかぎり、何かの道に従っているかぎり、あなたは到着する危険なく――事実、致命的な危険です――、あなたは、霊的旅をしているというあらゆる報酬を受け取ることができます。なぜなら、到着は、死で、そして復活です。人々は単にこれを見ないだけです。

広告