トニー・パーソンズ in アイルランド

 
9月下旬にアイルランドに行ってきました。トニー・パーソンズのレジデンシャル(一般的な言葉で言うところのリトリート)が、首都ダブリンからクルマで一時間ほどのWicklowという地域で行われ、それに参加してきました。

日本に戻って数日たち、それについて書こうとしましたが、書こうとすると上手くまとめたいという衝動が起こります。ただ、まとめてしまうと全部嘘になるという感覚もあり、このまま放置しようとも思いました。

が、やはり何か書いておきたいという感じもあり、今回毎日手帳にリアルタイムでメモをしたので、それをほぼ引用しつつ、時系列で書き残しておくことにしました。

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9月25日 Wicklowへ & レジデンシャル初日

東京からの飛行機の中で深い徒労感。変な夢を見る。「自分」が存在しないことを知ることに対する強い恐れを感じる夢。

(行きの電車で聞いていた)John Wheelerのポッドキャストにドキっとする。覚醒を、外からもたらされる未来のイベントとして考えていることを自覚。楽しみを将来にとっておきたいという衝動がある。今に満足することへの恐れ。

ホテルの部屋でテレビを切れない。番組内容はどうでもいいが、空白に耐えられる気が全くしない。

あらゆる面で完璧なパートナーを探す人がいれば、それはナンセンスだと分かるが、グルについては完璧を求めてしまう。

レオ・ハートンやネイサン・ギルなど、人前で話すことを止めてしまった教師たちに対する興味。分かっている自分と、不完全で分かっていない未覚醒の「彼ら」がいるという観点が抜け落ちたとき、ミーティングを行い続けるモチベーションがなぜありえるのか?

この日は夕食のみでミーティングは無し。

9月26日 レジデンシャル2日目

朝食で話したイギリス人参加者から、トニーが今回のレジデンシャルの場所を選んだのはエネルギー的な意味があるという話を聞く。さらに、一般の旅行者や宿泊客と一緒になると良くないため、借り切りできる時を選んだと。何事も覚醒をもたらすことはできないというトニーの主張と矛盾しているようで、面白いと思う。

アメリカ、ドイツ、フランスからの参加者と話す。いろいろなグルのうわさ話など。

朝の一発目のミーティング。いきなり落ち込む。怖さと気持ち悪さで吐き気がする。何かを得るべき人も、死ぬべき人も最初からいないという。「日本」というものが概念に過ぎないということに直面し、怖さを感じる。

昼食。10年に渡ってトニーの話を聞き続けているロンドンの女性。ずいぶん楽になったと。まっすぐな目が印象的。

夜のミーティング。早く終わらないかと願い続け、やっと終わる。長かったと思ったが一時間しか経っていなかった。

トニー曰く、ニュートリノの光速超えのニュースを見ても分かるように、あらゆる権威が崩壊しつつあるエキサイティングな時代に生きている、と。「エキサイティングだと感じているあなたがそこに存在しているじゃないか」という誰かのつっこみに、トニーは「エキサイティングだという感じがここで起こっている。でもそれは誰かのものではない」と。

9月27日 レジデンシャル3日目

前日と違い、朝から好調。朝食時もイギリスの人たちと話をし、楽しい気分が続く。

朝食後、トニーと一対一で話をする。40分ほど。内容的にはミーティングと同じこと。思っていたよりもパワフルな感じはなく、エネルギー的には普通。

朝のミーティング。気がついたら落ち込んでいた。特にティーブレークの後はかなりダウン気味。

昼食はアイルランド人二人に挟まれて意味の分からない話を聞かされているうちに気分最悪に。別の人と話して多少気分が戻るが、部屋に戻る頃には動きたくないほど。

午後のセッションはサボる。ベッドでうずくまる。

どうにか夕食に出かける。ポーランドの女性、イギリスの男性と話してだいぶ復活。

夜のミーティング。よく笑う。ジェフ・フォスターや他の教師たちの教えに対する批判的な内容が多く、多少困惑。長くトニーのミーティングに通い続けているベテランの人たちにもある種のエリート主義を感じ、嫌な気分に。でも、個人的なことと非個人的なことの違いについての話は印象に残った。

一対一の面談でトニーがこう言ったことを思い出す。「ミーティングで語られていることには別に意味はなく、ミーティングを成り立たせるためにしゃべっているだけ。実際に起こっているのは、ぐるぐる回っている個人のサークル的なエネルギーに、垂直なエネルギーがぶつかり、そこで分離の幻想が溶けるということ。もちろん実際に起こるのではなく、現象としてそのように見えるということだが」

9月28日 レジデンシャル4日目

「体験」を追い求めることの無益さをふと感じる。

朝食時。覚醒体験をしたことがある人たちや、Non Duality Pressのジュリアン・ノイス氏と話す。覚醒したという二人のイギリス人は、もうトニー以外のミーティングには行かないという。何かになるという方向の教えはもう聞けないと。何か別の状態になるということはありえないのだと。

ジュリアン・ノイス氏がNon Duality Pressを始めるに至った経緯を聞く。面白い。

ここで会う参加者の多くは、事業で成功していたり、活躍しているらしい物書きだったりする。他の教師のミーティングでもそういう人たちはいるが、ここは多い。

NLPのインストラクターのアイルランド人参加者。NLPなんて、と最初は馬鹿にして聞いていたが、自分の血に対する恐怖心に対してデモをしてもらって、その効果に驚く。

夜のミーティング。トニーがあまりに他の教師の教えを却下するため、かなり嫌な気分になる。何が分かっても結局愛がなければ仕方ないという気がする。同時に、究極のところが分からないと意味がないかなという気もする。

いずれにしても、自分が何を求めているのかということについて、ごまかしが起こりやすいと感じる。

9月29日 レジデンシャル5日目

朝食。ロンドンからの参加者の冗談で大笑い。コネティカットの人から、トニーがアメリカで行った講演のCDをすすめてもらう。ガンガジやアジャシャンティなどがひと通り話し終わった後、最後の講演でそのすべてを否定して会場大受けだったという。トニーがやりそうなこと。

朝のミーティング。あまり真面目に聞かず。ジョークも理解できない。

休憩時にジュリアン・ノイス氏と話す。本を出している先生たちについての苦労話を聞いて笑う。そのノイス氏がトニーが今は一番のお気に入りだと。

昼食。アイルランドの二人組と話す。誰と話しても必ず聞かれるのが、「奥さんとはこうしたことについての話をするのか?」ということ。ここでも聞かれる。重要なことと思えないため、いつも適当な答えになる。

レジデンシャル終了。トニーと奥さんのクレアに挨拶。いつでも電話してもらっていいよ、と。本気でそう言っている。ここで初めてトニーの愛を感じる。個人的な動機でやっているのではない、という感じがありありと伝わってきて、ハートにくる。

ダブリンへのバス。デンマークからの参加者と話す。半年の間に、トニーの二回のレジデンシャルと三回の週末ミーティングに参加したと。ヴィパッサナー瞑想など長く修行的なことを続けてきたが、トニーに会って全部捨てたと爽やかに語る。

ダブリンのホテルに着き、すすめられて買ったアメリカ講演のCDを聞いていたら、解放感に包まれる。そして、妥協のない身も蓋もないトニーの言葉に笑っていたら、再びトニーの愛を感じる。

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以上のような感じで、レジデンシャル中はどちらかというと疲れる時間が続いていました。途中で逃げたくなったのも事実で、もし日本国内であれば中断して帰宅していたかもしれません。

なぜそのように感じたのかは、トニーのメッセージの内容がわからないと意味不明かもしれません。

気が向いたら、彼の言っていることをそのうち紹介してみようと思います。

トニーの最近のインタビュー動画

トニーのウェブサイト The Open Secret

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トニー・パーソンズ in アイルランド」への3件のフィードバック

  1. 以前、アジャシャンティのことでコメントしたみなみのそらです。

    トニー・パーソンズのリトリートのご報告、気がすすまないのに書いてくださってありがとうございます。
    ダブリン空港にいらっしゃると聞いたときから、心待ちにしてました。

    その場の雰囲気や経験されたこと、ヒロさんの内側の様子がとてもよく伝わってきて、自分の中にさまざまな疑問や思いがわきあがってきました。

    ヒロさんに限らず、途中で帰りたくなると感じる人は多いのかな?
    すでに覚醒したと言う人、10年間通う人、他の修行を捨てた人たちが、それでもトニーの話を聞きに来るのをやめないのはどうしてかな?などなど。

    わたしは、実はちょうど昨日トニーパーソンズの本を読み終わったところでした。

    昨日のブログを読んで、さっそく彼のアメリカ講演のオーディオをダウンロードし、何回か聞きました。質問者が、グッと言葉につまりながらも、笑ってしまうところで、こちらもつられて笑ってしまいました。
    おっしゃるように、トニーは実も蓋もない発言の連発で、それに対してムキになって反発するのは、バカバカしいような感じ。

    でも、なんだかよく説明できないのですが、とても惹かれるものがあります。
    もうすぐアジャシャンティやガンガジのミーティングに行く予定なのですが、前ほど、行きたい気持ちが薄れているような…。
    自分の中で何かがすこし剥がれ落ちそうな気配があるのに、また何か素敵な甘美なものをまとってしまいそうで、そうなることを避けたい気持ちがあるような、へんな感覚です。

    そのことと関係があるかどうかはわかりませんが、ついさきほど起こったおかしなことです。

    夫がミーティングのためにハワイに行くことになった霊的な意味付けを、あれこれ楽しそうに話していました。でも、彼の言葉は理解できているのに、何だか脳がフリーズしたみたいで、彼の言ってることがよくわからない。それで「なんて言ったの?」「ごめん、フォローできない」と何度も聞き返してしまいました。「今日君はどこか別のところにいるみたいだよ」とあちらも不思議そうでした。

    トニーのサイトに、誰かが彼を左脳拷問人と呼んでいるところがありましたが、もしかしてわたしの脳も、軽い拷問にかけられたのでしょうか?

    今、ネイサン・ギルとレオ・ハートンの本が届くのを楽しみに待っているところです。トニーの言うところの「欲張りで、底なしのスピリチュアル買い物かご」はいつになったら満たされるのかな、と自分でもあきれてしまいますが。

    ヒロさんにはとても感謝しています。
    そして、これからもいろいろなご報告楽しみにしています。
    特に、トニーの言っていることの紹介、どうぞヒロさんの気が向きますように。

  2. みなみのそらさん、コメントありがとうございます。

    いわゆる覚醒した人たちがなぜ引き続きトニーのミーティングに参加し続けているのか?ということは僕も疑問に思ったので、何人か聞いてみました。

    覚醒体験はしたけれど、「自分」が戻ってきてそれを「自分の体験」として解釈しようとする現象が続いて探求が終わっていないというパターンと、探求は終わったけれど、自然の多いリラックスした環境で同じような関心を持つ人たちと時間を共有したいというパターンがあるように思いました。

    後者に対しては「本当かな?」とも思いましたが、今は先生と言われているような人たちも来るよ、とも言っていたので、そういうこともありえるのかなとは感じました。

    トニーから、エッセイの翻訳紹介の許可はもらいました。関心のある人もいるのかな?と感じますので、近日中に掲載できるようにしたいとは思います。ただし、彼自身、「書いてあるものはbeingのalivenessを十分表現していないからCDの方がいい」と言っていたので、その点の注意は必要ですね。

  3. ヒロさん、お返事ありがとうございます。

    アジャシャンティも、講話の中で同じような話をしていました。

    そこで、探求の苦しみが終わり、リトリートを通して静寂にどっぷり漬かりたいと思いはじめた人を選んで、あえてリトリートリーダーなるものに指名し、他の人のお世話(?)みたいなことをすることで、真理をサポートする役回りをやってもらうのだそうです。

    でも、ミーティングに参加し続ける覚醒体験者や、他の覚醒体験者と一緒にいたがる人よりも、目覚めのことなど関係ないような、もうサットサンなどにも参加しない、ごく普通の暮らしをしている覚醒者は、どんなふうなのかな?と興味がわきます。

    でも、そういう人はあまり語らず、表に出てこないんでしょうね。

    書いたものより、CDのほうが、aliveness が伝わるというのは確かにそうですね。
    臨場感がありますものね。
    ただ、参加者同士のジョークのやりとりで、ドッと笑いが起こったり、咳き込む人、鼻をかむ人などの雑音もすごくて、ときどき内容が良くわからないことがあります。
    それから、イギリス人同士のボショボショっとした会話も、聞き取りにくかったりすることがあるので、ぜひ、エッセイの翻訳紹介、よろしくお願いします。

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