至福は得られない レオ・ハートン

 
レオ・ハートンのQ&Aを翻訳紹介するシリーズの二つ目です。

特定の状態を追い求めることに関する問いと答えです。

=====

http://www.awakeningtothedream.com/newsletter/nl-017.html

Q.
ジョセフ・キャンベルの『Follow Your Bliss(自分の至福を追求しよう)』に私は感動したのですが、でも、自分の「至福」を出来る限り探し続けているにもかかわらず、胸が高鳴るような至福を生活のなかで見つけることができないでいます。

あなたは、ただ「あるがまま」があるだけであり、自分のライフワークを見つけてそれで生活できるようになるために私ができることは何もない、と言っているのですか? 欲求不満、不安、それから大きな借金がいまあります。こうした問題について私が選択できることはあるのでしょうか?

A.
ジョセフ・キャンベルの『Follow Your Bliss』はあまり知らないので、本の内容については何も言うことはできません。本のタイトルは、至福を追いかけたり追いかけなかったりする分離したあなたというものが存在するということを意味しているようです。非二元の観点から言えば、この概念は大した意味をなしません。

あなたが出来ることは何もないというよりも、むしろ、何かすることができる分離したあなたというものは存在しないということです。

なされることのすべて、なされないことのすべては、<それ・神>がそれ自体に立ち現れるありさまです。分離の感覚、個人であるという感覚も、<それ>が見かけの上での個人として現れているのです。神(God)、黄金(Gold)で作られている美しい彫像や装飾品を沢山目にするとき、あなたはそれらの異なる形態に焦点を合わせることもできますし、本質においてはそれらがすべて<一なる実体>であることに気づくこともできます。

起こっているすべてのことは、「あなた」の人生を本当に生きているものは何なのかを見るように仕向けている刺激なのです。もし「あなた」の思考や感情をコントロールできる「あなた」が実際に存在していたなら、あなたは自分で不幸な思考や感情を選択するでしょうか? 繰り返しますが、私はあなたはどうにもならないと言っているのではなく、どうにもならない状態にあったりできるようなあなたというものは存在しないということを言っています。

あなたが書いた問題は痛ましいものです。「あるがまま」と共にあろうという意思があればあるほど、何が起こるのかということに関係なく、より平安の中にあるようになります。あなたが探し求めている至福は、まさにその探すことによって、また、ものごとが異なる状態にあることを望むことによって、覆い隠されます。荘子が言った通り、幸福を得ようと努力することがなくなったところに幸福がある、ということです。

私たちが物事を変えようとすればするほど、痛みは大きくなります。私たちはここで矛盾にぶつかるようです。というのは、物事が違った状態であることを望むときも、それ自体もまたものごとがそのようにあるということであり、それも受け入れられるかもしれないのです。

至福とはあなたが獲得できる何かではなく、本質的にあなたがそうであるものです。それは、その中で相対する痛みと喜びが生じる<気づいている空間>です。それは、万物がそこから現れ、そしてその中にまた溶解していく、深遠な静寂です。それは、原因のない喜びであり、困難に影響されることはありません。鏡が、映るものに影響されないのと似ています。あなたは<それ>であり、あなたはその中に「あなた」と現在の痛みが映される鏡です。

このことが誰でもない誰かに認識され受け入れられたとき、そこにあるのは平安です。相対的なレベルで、苦しみが続くかもしれませんし、出口が開かれるかもしれません。あなたの本質は至福そのものであり、それを追い求めたり獲得したりできる人は存在しません。それはシンプルで純粋な存在です。あなたは<それ>なのです。

=====

このQ&Aの題材になっているジョセフ・キャンベルや引き寄せの法則ということについては、天野清貴さんも以下の記事で書かれています。

至福に従えば… (修善寺日誌)

上の記事では、「魂の至福」が「マインドの至福」に対してより上位にあるという意味合いのことが主張されています。が、僕自身はこれには違和感を感じていて、その違和感の意味は、先日『スターピープル』に掲載された天野氏とレナード・ジェイコブソンの対談を読んで分かりました。それは、天野氏が「魂」とか「天命」ということに現象の他の事柄よりも多くの意味を与えていることに対する違和感です。

そのあたりが、このQ&Aで自分なりに分かった気がします。

広告

至福は得られない レオ・ハートン」への2件のフィードバック

  1. ヒロさん、こんにちは。
    いつも、ありがとうございます。pariです。
    レオ・ハートンという方、じつに超絶的な限界的表現能力の持ち主ですね。
    【至福はあなたが獲得できる何かではなく、本質的にあなたがそうであるものです。それは、その中で相対する痛みと喜びが生じる<気づいている空間>です。】
    これは信ずるとか理解するとかいうようなことではなく、単なる事実ですものね。
    ヒロさんを通路にして起こっていることは、すばらしいとしか言いようはありません。(^^)/
    Love pari

  2. pariさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

    オランダにはなぜかたくさんの先生がいるようですが、彼のような人が対外的な表現を止めてしまっているのは残念だなあと思います。(教えていないということ自体がある意味では教えなのでしょうが)

    昨年オランダのSANDに行った際に、レオ・ハートン知ってる?といろいろなオランダ人に聞きましたが「名前は知っているけど」と答える人がほとんどでした。自分も逆に日本にいる素晴らしい表現者を見逃しているのかも、とその時は思わされました。

コメントは受け付けていません。