ロジャー・リンデン in フィンドホーン

 
7月の初め、スコットランドのフィンドホーンで開催されたロジャー・リンデンの一週間のワークショップに参加してきました。

フィンドホーンには以前2回訪問し、今回は約2年ぶりでした。東京は清涼な空気が恋しくなるほど猛烈に暑かったため、ちょうどいい時期の避暑となりました。

ロジャー・リンデンについては、これまで3回ほどロンドンでのミーティングに参加したことはありましたが、長いものは初めてです。

参加者は20人ほどで、そのうち約半分がフィンドホーンのメンバーあるいはその周辺に住んでいる人たちでした。

ロジャーはこれまで10回ほどフィンドホーンを訪れ、1日だけのトークや週末コースを開いたそうですが、一週間のコースは今回初めてということでした。

何を期待して参加したということもなく、あえて言えばフィンドホーンのオートミール(オーツ麦のポリッジ)とテーゼ(テーゼ共同体で歌われる聖歌的な歌)が恋しくなったからという感じです。

結果的には行って良かったと感じています。以下、気がついたことなどを忘れないうちに書いておきます。

  • 本当に普通の人

    今回、1日3回のセッション(ミーティング)とその前後の3食の食事を含め、相当長い時間、ロジャーと共に時間を過ごしました。強い印象を受けたのは、彼が60代半ばという年齢にもかかわらず疲れたそぶりをまったく見せないこともそうですが、とても普通だということです。

    彼は食事中はガンガジやバイロン・ケイティ等についての噂話に楽しそうに加わったり、テレビや映画の話を普通にしたり、参加者の人たちの身の上話に耳を傾けたりしていたのですが、先生然としたところはまるでありませんでした。

    というよりも、彼がコースの先生だということを忘れさせるくらい皆の中に混ざっていました。途中、2年前にフィンドホーンで一緒のコースにいた女性に再会したのですが、彼女は「へえ、あの人が教えてる人なんだ!?」とロジャーを指して言っていました。

    他の先生が自分の過去の体験談をしていたりすると、「ストーリーと同一化しているじゃないか」と突っ込みたくなるのですが、彼の場合は自然に聞かせてしまう感じがあります。

  • 覚醒の非個人的性質について

    アドヴァイタ系のミーティングに出れば必ず語られているのが、覚醒または悟りというものは個人に起こるものではない、ということです。これほど理解できないことはありません。自分に絶対に起こりえないことを自分が想像するのは難しいのだと思います。

    そして今回もこのことを何度かロジャーは強調していたのですが、ある意味でそれはどうでもいい、という感じを受けたのを覚えています。覚醒に限らず、個人に起こること自体何も存在しないのだ、ということの自由さや軽さがそこにはあったと思います。これを書いている今はその感じがちょっと分からなくなっていますが・・。

  • 他の参加者の体験を共有

    最終日の朝、参加者の一人に近づくと異常にハートが震えることに気がつきました。その前の日までは話したこともなく特に意識したこともない人でした。が、午前の休憩時に彼と目が会ったとき、理由も分からず涙があふれてきました。

    午後のセッションで、彼は「朝から自分がない。何が起こっているのか分からないが」と静かに語りました。だからかな、と感じました。

    何がどうなってそうなるのか分かりませんが、特に敏感でない自分がそのように感じるということ(フィンドホーンのせいといえばそうかもしれませんが)は、かなり印象に残りました。

    その彼以外にも、同様に今回のコースのあいだにいわゆる覚醒体験をしたとシェアした人が二人いました。いずれも、その後の彼らの雰囲気はそれ以前とは変わっていたように思います。荷物を下ろしてほっとしていると同時に、世界の驚異に目をみはっている感じも受けました。

  • エゴについて

    面白いなあと思ったのはエゴの話です。エゴはラテン語(ギリシャ語?)の元の意味はただの「私」で、エゴという言葉にいろいろな意味がついているのは付けた人が付けただけで、実際にはエゴというものは存在しないとロジャーは言います。

    ただ、エゴとか私とか思考と呼ばれるものが現象として見かけの上では起こっていて、それらとの同一化も起こっているが、実体として存在するわけではないというのです。

    エゴを取り除こうとするのもエゴであり、それがエゴの最終安住地だという話がよくありますが、そもそも単にその時にそのような思考や衝動が起こっているというだけの話で、それ自体を問題とすることも、そのような思考や衝動が起こっているだけだということが分かった気がしました。

    もっとも、分かった気がしたということが見かけの上では起こっているだけなのでしょうが・・。

  • 緊張

    今回のワークショップで半分を占めたのが緊張と弛緩の話です。一見、非二元(ノンデュアリティ)の話とは関係ありません。それに、この実践をいくらしてもそれが覚醒や悟りへと導くというわけではないということは明確に言っていました。

    最初は僕もなぜこの身体の緊張のことをしつこくやるんだろうと怪訝に思っていました。それくらい、毎日毎日これについての話と練習は続きました。

    結局それで何を得られるんだ?という抵抗がずっとあったのだと思いますが、その抵抗が一瞬止んだとき、自分のなかの緊張にフォーカスするかわりにその緊張があることを自然に許してみてください、というロジャーの言葉がすっと入ってきて、境界が溶けたような感じがありました。

    もちろん、その直後に「ちょっと待った!」という感じで「これは危ないぞ」という思考と共に緊張が舞い戻ってきたのですが、単にただそこにあることを許すということをするだけで!?という驚きは残りました。

  • 因果関係

    何事も覚醒を引き起こすことはできない、ということが今回腑に落ちたように思いました。覚醒はあくまでも見かけの現象の内部で起こることではなく、何か起こることでさえないということです。それは起こることではなく、あえて言えば何かが止まることだと言っていました。

    そのあたりのことを説明しようとするとき、ロジャーは「このことはずっと表現しようとトライしているが、どうしてもうまく説明できない」とじれったそうにしていました。

    そのじれったそうな表情と身ぶりが印象に残りました。

  • 帰りの列車の駅でロジャーと一緒になり、彼は僕とは逆方向でしたが、前夜の雷により列車ダイヤが乱れているというアナウンスがありました。

    彼は「次の列車への乗り継ぎ時間が10分くらいしかないからもう間に合わないだろう」と言いながら、以前列車が洪水で大幅に遅れたときの素敵な思い出について楽しそうに話してくれました。

    そんな話を聞きながら、ストーリーとの同一化だとか何だとか目くじらを立てていた自分を笑い飛ばしたくなっていました。

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