場所のおかげ? オックスフォードでのリトリート

 
今回のオックスフォードのリトリートは2泊という短いものでしたが、2月に参加したカリフォルニアでのリトリートよりも楽しめたという印象があります。

一つには、地震と原発で閉塞感が続いていた日本の日々から一瞬でも解放されたということがあります。

そしてリトリート2回目ということで慣れもあったのかもしれません。

が、おそらく一番大きいのは場所ではないかと感じます。カリフォルニアでのリトリートはほとんどの参加者がアメリカ人でしたが、今回はヨーロッパのいろいろな国から集まってきていました。

それで、無理やり笑顔を作らないといけないとか、ジョークを数分ごとに言わないといけないという感じの自分にはあまり馴染めない雰囲気が、今回はありませんでした。英語についても、あまり気になりませんでした。

なので、最初から最後まで気楽に気をつかわずにいることができ、結果的にルパートの話に集中でき、また一人でいるときもリラックスしていました。

そして気のせいかもしれませんが、地元ということでルパートもよりリラックスしているように感じられ、ミーティング中の応答を聞いていても、ずいぶん違う印象をもちました。

個人的に話す時間や、食事中に一緒のテーブルでいろいろ話を聞く時間もあり、震災後に混乱しまくっていたマインドが、多少スピードダウンすることにつながったように思います。マインドの狂気を離れて見ることができる機会になりました。

と書くと、分離した見かけ上の個人である「小さな自分」が多少マシになったというような、まったくアドヴァイタ的でない話のようですが、まさにそうです。

これまでアドヴァイタ的な正しさ、非二元的な視点からの適切さといったようなところにはまり込んでいたのかな、という感じもいま感じていて、その正しさの追求がまさに「小さな自分」との同一化を堅固なものにしていたような気がしています。

ミーティングでの話等については、書くかもしれませんが、書かないかもしれません。いずれにしても、ルパートが言っていることは常に同じであり、新しいことを求めようとする思考の働きに燃料をやることの不毛さに徹底的に倦んだとき、その常に言っている同じことが何を指しているのかについて本当の興味が出るのかなと思います。

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