他者の苦しみと向きあう ルパート・スパイラ

 
東北大地震の凄まじい惨状の報道に接し、いろいろな考えや感情がかけめぐっています。命のはかなさ、何気ない日常の日々というものの尊さを感じ、それと同時に、自分も大きな揺れを経験したにも関わらず、映画を見ているような妙な非現実感や乖離感もあります。

何かしがみつくものを探したいような気がして、ルパート・スパイラのQ&Aを見直してみました。教科書的で物足りない感じもなくはないのですが、今日は苦しみというものについてのQ&Aを紹介します。

170) On Facing Suffering In Others

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他者の苦しみに直面することについて

Q. 他の人の非常に強い苦しみに直面したとき、どのように反応するのがもっとも好ましいのでしょうか?

A. 他の人の激しい苦しみに直面したときは、見かけ上のその人が本当は意識であり、意識は苦しんではいないと深く理解していることが、どのような関係においても有効な手段となります。

意識は単に存在し、愛にあふれ、オープンで、なにごとも受け入れるものであり、そしてそれ自体はマインド、身体、世界の遊戯によって影響されることはありません。

私たちが意識的に意識として存在し、見かけ上の他者の「内にある」意識に対して話しかけるとき、どういうわけか、私たちが用いる言葉には関係なく、意識に固有のものである愛、平安、安心が伝えられます。意識が、それ自体からそれ自体に伝達するのです。

もちろんあなたが書いたように、この理解を直接伝えるのが不可能であったり、あるいは、もしそのように伝えたとしたら多くの人の感情を傷つけることになったりするような状況もあるでしょう。

そのような場合には、あなたの場合はすでにそうだと思いますが、私たちはとても慎重であるべきであり、それぞれの固有の状況や「人」に応じて、深い理解を表さなければなりません。

あなたが書いたような、何かを「おこないたい」という欲求は、必ずしも無知や分離した存在を示すものではありません。それは、同じように愛や知性の表現であり、それ自体は、分離した存在を媒介していない意識の直接的な表現であるかもしれません。

結局のところは、表現されるあらゆる感情を避けたり操作したり抑圧したりする意図をもたず、そうした感情をオープンに思いやりをもって受け入れることによって、苦しみの中にいる他者の中でこの受け入れる姿勢が目覚め、すべての苦しみを最終的に解決させる非言語的なメッセージが伝わるのです。

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