ルパート・スパイラのリトリート (7)

カリフォルニアでのリトリートが終わって二週間が経ちました。感覚的には数ヶ月経ったような感じもあり、カレンダーを眺めると不思議な気持ちになります。

一回のリトリートで何が変わるということもないだろうと思いながら参加しましたが、何かが起こったのかどうか、それは分かりません。分かろうとする衝動の働きが多少鈍っているということは言えるかもしれません。が、それも、何かをしたら何かを得たと思いたいという衝動の表れなのかなと、静かに見ていたりもします。

リトリートの最終日は朝のヨガは無しで、昼のセッションだけが行われました。6日間を通して暖かく晴れていて、ミーティングの部屋の窓から見える陽光のきらめきが印象的でした。

最後のミーティングでは、こんなことが語られました。

  • (「気づきとして存在してください」等という指示がミーティングでもヨガの時間にもあったが、それは行為者や選択の存在を意味しているということか?という質問に対し)自分が分離した存在であると感じている人に対しては、こうした指示や提案は有効であり、逆に、絶対的な真実だけを常に絶対的なものとして示し続けるということは意味をなさない。分離を前提にした表現も、それは全体性がそのような表現として現れているということ。
  • (義理の母との付き合い方のような現実的な問題とどう取り組むべきか、という質問に対し)来月のパリでのミーティングの時間をパートナーのエレンが今日決めて、それに従って切符などの手配が終わったということを聞いたとき、その時間の設定が気に入らないということを彼女に伝えた。そのとき、自分の声のトーンが変わっていることに気がついた。それが、分離した存在が選択をしているという前提での感情だったことにすぐ気づき、それはおさまった。理解しているとは言っても、このように身体とマインドの習慣で反応が起こることはある。が、基本的にこちら側に何もひっかかるものがない場合は、相手側のエゴはとっかかりをなくしてしまい、そうでない場合のような対応をすることはなくなる。そうすると、世界そのものが変わっていく。
  • (身体とマインドが新しい理解に基づいて再調整されていくという話があったが、それは時間が存在するという意味か、という質問に対し)分離した存在には時間が感じられるし、実際にそのようになっている。
  • (求道の上で様々な困難があるが、という質問に対し)自分の興味に誠実に従って、すべてを再編成することを勧める。一気にすべてを変える必要はないが、自分が感じるところに従うということはとても大切だ。

ということで、ルパートのサンタバーバラでのリトリートの日程は終了し、昼食の後、参加者はそれぞれ散っていきました。

部屋の鍵を返しに行くと、センターのスタッフが「エジプトのムバラク首相がさっき辞任を発表したのよ」と半ば興奮しながら教えてくれましたが、そんなニュースとともに僕も「外の世界」に戻りました。

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