ルパート・スパイラのリトリート (6)

リトリート5日目となり、朝のヨガに参加しましたが、この朝は思考がとても激しく、ほとんど集中することができませんでした。一時間のヨガがとても長く感じられた時間でした。

朝食の後、食堂を出ようとしたとき、参加者の女性と目が合いました。ミーティング会場に美しい花をいけている人なのですが、まだ一度も話したことはありませんでした。

お互い立ち止まり、話をしました。彼女はルパートが師のフランシスに出会った頃(10年以上前)からルパートを知っているということでした。

「彼がどんどん花開いていく様子をみているのは素晴らしいことだったわ。彼だけでなく、フランシスのまわりでは沢山の素敵な変化があって、それは本当にインフルエンザのようなもので、近くにいるだけで伝染してしまうものなの」と語る彼女の瞳は優しい愛に溢れていて、見ているだけで涙がこみあげてきてしまいました。

彼女から、どのようなきっかけでルパートのリトリートに参加しているのか訊かれ、説明しました。「それは本当に素晴らしい恩寵ね」という彼女の言葉を聞きながら、導かれ方の不思議に打たれていました。数年前の自分であれば、このようなとても澄んだ瞳をもった人と対話しているということは到底考えられないことだったと本当に思いました。

祝福としか言いようがありません。

この日のミーティングでは、こんなことが語られました。

  • (理解に至ったルパート自身の体験を聞かせてほしいという要望に対し)それは全く重要ではないが、聞かれたので答えるとすると、二つの出来事を思い出す。一つ目は、フランシスから「瞑想とは、すべてに対してイエスと言うことだ」という言葉を聞いたときで、そのような言葉はそれまでに何度か聞いたはずなのに、そのときは何かが起こった。二つめはフランシスのリトリート中に、谷の向こうから聞こえる犬の鳴き声はどうしても自分の外のもののように感じるという質問をしたときで、フランシスが「では、そこの絨毯に触れてみなさい」と言い、実際に触れてみた時。そのとき、なぜこんなに簡単なことが分からなかったのだろう!と驚いた。ビッグバンのような体験はこれまでに一度もなく、この二つと同じような気づきが沢山続いた。だが、あくまでもそれは理解とは関係なく、理解は時間を超えたものであり、非個人的なものだ。
  • (わけの分からない恐れがあるという質問に対し)何かにしがみつきたいという衝動は必ず起こる。が、いつかその衝動の他に、手放してみようとする別の衝動も出てくる。そちらの衝動に従ってみると、やはり怖いのでまたしがみつく。同じことを繰り返すうちに、手を離せば後ろから何かにサポートされるということに気がつく。マインドは常に対象物を求めて前方を探すが、本当の安心は背後からもたらされる。
  • (師との出会いについて)フランシスがどういう人なのか全く知らずに、イギリスでの彼のリトリートの開催に協力することになり、自宅を提供した。彼と会った瞬間、「この人が自分の先生だ」「我が家に戻った」という感じがした。
  • (感情にポジティブとかネガティブという区別はあるのか、という質問に対し)ネガティブな感情というものは、そこに分離した自分と、それに付随するストーリーという要素があるもの。
  • 本当に見ることとは何か。向こうに何かの物体があって、それを見るという行為がそれとは別にあると思っているが、実際には向こうという位置は見ることの中にしか存在せず、見ることがなければ距離も位置も存在できない。

夜のミーティングで上の最後のことが話されたとき、僕の前に座っていた男性が天を仰ぐようなしぐさを見せました。明らかに何かが分かったというエネルギーを発していて、興奮も感じられました。

その後の夕食で彼と同じテーブルにつき、彼の話を聞きました。何が分かったかはうまく説明できないという感じでしたが、それは神秘体験とかそういうものでは全くなく、当たり前のことが当たり前に見えるというようなことだったようで、彼の表情がミーティング前とは全く変わっていたのが印象的でした。それと、以前取り組んだ禅の公案のいくつかの意味が分かった、とも言っていました。(ちなみに、翌朝会ったとき、彼の「発見」はどこかに行ってしまっていたようで、多少浮かないような表情をしていましたが)

リトリートの最後の夕食となり、それまでよりも遅い時間まで、いろいろな人と話をしましたが、全く違う道のりを経て今同じ場所と時間を共有しているということに多少の興奮を覚えつつ、眠りにつきました。

その7はこちら

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