ジェフ・フォスターのハムステッドでのミーティング

 
今日(23日)はジェフ・フォスターのミーティングに行ってきました。ロンドン中心部から15分ほど北にいったところにあるハムステッドというエリアで行われ、40人強の参加者がいました。14時から17時まで、1回の休憩をはさんで3時間です。

ミーティングが始まる前に、その近くにあるハムステッド・ヒースという公園(というか、径がついた森)に行きました。

ロジャー・リンデンが覚醒したという場所なので、何か起こるのではないか!?というスケベ根性を出してのことでしたが、歩きまわってみても当然ながら期待はあっさり裏切られ、靴に泥がついただけで終わりました。

ミーティングはジェフの話で始まりました。言葉では表せないことを扱うミーティングであり、個人にとっては失うものはあったとしても得るものはなく、意味はないのだ、という決まり文句の後、探求というものが常に目の前にあるものを見逃すことでしか起こりえないものだという話が続きました。

その後は質疑応答やシェアリングがあったのですが、印象に残ったことを書きます。

  • 不可解さ

    今日のミーティングでは、覚醒体験をした二人の人がコメントをしていました。一人はイタリア系のちょいワル風の中年男性、もう一人は英国人の比較的若い女性です。共通していたのは、体験とその後のことを話していた中で、どうにも言葉で表現できないというフラストレーションが強く出ているのと同時に、それが言葉を超えたものであることが、傍から見ていて如実に分かったということです。

    それは、頭ではアドヴァイタや非二元論をある程度理解していると考えている大多数の参加者の落ち着いた様子と比較すると、かなり対照的でした。彼らが意味の分からないところで急にウケていたのも、他のミーティングでもよくある光景ですが、目立っていました。

    ジェフの初期のインタビュービデオでも、不可解さに打たれて呆然としてしまう感じが表れていますが、今はそのような雰囲気は感じられません。良い意味で言えば混乱の時期を過ぎたとか、ルパートの言うところの再編成、再調整が一定の完了を見たということなのかもしれません。

    が、今日思ったのは、「自分がそこにはいなくて、ただ圧倒的な恐怖があって、あると思っていた世界は全然そのようなものではなく、何も存在してなくて、何もないことがすべてで、つかまるところはどこにもなくて、全部がひっくり返ったとも言えるし、ひっくり返るものなんて最初から何もない・・・狂気というものはこういうものかも・・・・ああ・・・・(沈黙)」となんとも言えない表情で話す様子をみている方が面白いな、ということでした(面白がるような話でもないのでしょうが)。

  • 「私」と探求

    ジェフが今日も繰り返していたのは、あらゆる思考や感情はただ現れて消えるのでそれ自体何も問題はないが、思考が「私の思考」になり、感情が「私の感情」になる時に問題(と見えるもの。実際はない)が発生するということでした。

    すべてから「私の」というラベルがとれたとき、そこにあるのはリラックスであり、緊張は自然に溶けるということです。

    ただし、「私」というラベルをとろうとすることも、「私というラベルはダメだ」という思考が私のものになったときに生じる行為であり、そのようにして探求は永久化するのだということも何度か形をかえて言っていました。

  • 消耗

    とても印象に残ったのは、個人が行うどんな行為も覚醒や悟りに至らせることはない(より正確に言うと、覚醒や悟りというものは存在しない=いつか未来に起こるべき出来事は存在しない、という理解が、想像されていた架空の個人という存在の不在=最初からなかったことをあるとしていた認識の崩壊、という形で生じることは、架空の個人の「行為」によっては起こりえない)ということを明確に指摘しながら、今日は、すべての探求がうまくいかないという現象の中で「個人」が完璧に消耗したときに理解(understandingではなくseeing)が生じるというパターンが見られるとジェフが言っていたことです。

    彼自身も、熱心な探求が続いた後で体調も相当悪化し絶望的になったときに経験が起こったということですが、個人による探求というものが本来的には必ず失敗するのは当然ではあるものの、それが「重度」の探求である場合に大きな挫折となり、結果的に探求が終焉するということだと説明していました。探求の終焉を導く消耗という話です。因果関係も時間もないという話との整合性が分かりませんが、そのように見えるレベルがありえるということでしょうか。

  • ミーティングという場

    覚醒体験を話していた女性がたまたま隣に座っていたので、休憩時間にお茶を飲みながら少しだけ話しました。妻子持ちの身でこのようなことを書くのもどうかと思うのですが、その目を見たときに自分は恋に落ちたと思いました(正確に言うと、恋に落ちたときと全く同じ感覚がありました)。なんとも不思議な目で、世界を初めて見る人のような不思議な光を宿していて、その懐かしさと暖かさと無邪気さが、どうにも拒否できないような魅力を放っていました(と思い出しながら言葉にしようとしていますが、一瞬の経験でした)。

    これが覚醒体験をした人の何らかの性質をあらわすものなのか、よく分かりません。不思議なのは、帰りの地下鉄でもたまたま彼女と会ったのですが、その時点では極めて普通の地下鉄に乗っている人の目になっていたように見えたことです。ミーティングという特殊な環境が可能にした表情だったのかもしれませんが、その違いも印象的でした。(というわけで、恋に落ちてはいないことを明確に確認しておきます!)

ここ最近は、ルパート・スパイラの存在や、ネイサン・ギルの原理的な表現に惹かれていたこともあって、ジェフ・フォスターに対する興味は以前ほどではなかったのですが、期待以上に面白い体験でした。

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