探求の本質 ルパート・スパイラのロンドン・ミーティング

 
昨日、約一ヶ月ぶりのロンドンに到着し、今日はルパート・スパイラの一日ミーティングに行ってきました。3回の休憩をはさんで6時間です。

会場は、日本に何度も行ったことがあるというバイオリニストの女性の自宅のリビングでした。

壁にルーシー・リーを彷彿とさせる素敵なカップや皿がずらりと並んでいて、窓の外に広がる公園からは小鳥の声がずっと聞こえているという素晴らしい空間で、入った瞬間にもうこれで今日の目的は達したという気がするほどでした。(休憩時の話で、それらの器が本物のルーシー・リーの作品で、40年ほど前に今では考えられないような低価格で買ったものだということが判明)

ミーティングが始まる前にルパートと初めて少し話しました。ウェブサイトのQ&Aの翻訳紹介をしているヒロだと自己紹介すると、「女性かと思っていた」ということで笑ってしまったのですが (ヒロコだかヒロミだか、似た名前の日本人と会ったことがあるため誤解していた模様)、すぐ目の前で見る彼の目は思いやりと知恵が輝きだしていて、しかも無邪気さが感じられ、とても印象的でした。

ミーティングは最初にダイレクトパス的な彼の話(瞑想的な問いかけ)が15〜20分ほどあり、その後で質疑応答という普通のサットサン型でしたが、何度も来ている人が多いせいなのか、ルパートの雰囲気がそうさせるのか、とても親密な感じで進みました。

印象に残った話をいくつか書いてみようと思います。

  • 幸福とは、欠如の感覚が不在であることである。分離した存在と幸福の探求は同じ現象の両面であり、分離した存在が幸福の探求を行うのではなく、分離した存在というのは幸福の探求そのものである。
  • 経験に基づいて感覚や思考を調べてみると、身体内存在としての自分が存在しないことが分かる。これは知的に理解するのではなく、体験的に分かることが大切。知的概念として受け入れるということは、ひとつの思考にすぎない。疑いがあればそれを徹底的に自分で調べてみるという態度が必要。
  • (行為する人がいるかのような説明だが?という質問に対し)現象の世界には、確かに想像上の見かけの存在ではあるが、個人という感覚があり、その感覚を持っている人に対して二元性を前提とした言語を使って話しているので、そのような表現になる。同様に、分離した存在というのは時間の存在を前提としたものであり、時間があるかのような話し方になるのも、分離した存在については話すときは仕方ないこと。
  • 言語よりも芸術作品のほうが、経験の本質というものをダイレクトに伝えることができるとも考えられる。言語はマインドの抵抗を受けるが、芸術作品はそれを通り抜けることがある(言語のなかにも、ルーミーの詩のような例外はある)。ただ、芸術作品も一瞥ですべてが伝わるということはなく、ともに時間をすごすことで自分に何かが沁み込んでくる。
  • 愛と恐怖はとても近いもの。もっとも惹かれるものを最も拒否する。もっとも惹かれるものは自分を失わせるもの、自分を溶かすもの。それが恐怖を生む。消える恐怖であり、死に対する恐れだ。でも恐怖を抑えようとしたり、逆に無理に受け入れようとする必要はない。何の意図もなくそれに気づいていればいい。ただ気づいていれば消えるだろう、という期待を持つのではなく、ただ気づいていること。
  • (唯一の意識の中に多元的な現象が表れていると考えるよりも、複数の異なる意識の中にそれぞれが知覚する現象が表れていると考える方が自然に思えるのだが、という質問に対し)意識が多元的であるという証拠があるかどうか自分で調べてみてほしい。現代の科学でさえも、世界には途切れ目や境目がないということを発見している。概念として受け入れるのではなく、経験の上でどうなのかが分かるまで自分で試して考えてほしい。
  • (非二元の理解をどのように伝えればいいか?という質問に対し)その理解を何かに翻訳して伝えようとするのではなく、その理解をそのまま生きること。そうすると世界はその理解のままにあることが分かり、そのとき、どのように伝えればいいのか?という問いは出ないだろう。伝えるということが起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。世界にはこの経験の本質を理解した人は沢山いるが、理解が起こる前と何も変わらない生活を続けている人がほとんど。
  • 分離した自己は何でも自分の存続のために利用する。それが良いか悪いかという話ではなく、ともかくそういう現象がある。それを滅ぼそうとか取り除こうとする必要はないし、そもそも出来ない。ただ、その働き方を見抜くことで、分離した自己に振り回されることはなくなり、あらゆる現象は自分の現象ではなくなる。
  • 未処理の感情と向きあうといったセラピー的なことは人が生きる上でとても役に立つのは確かだが、それ自体は経験の本質の理解に至る助けにはならない。PCの画面に表示されている各スクリーンの内容がどうなろうとも、その各スクリーンの内容がPC本体の存在に気づくことがないのと同じ。個人が理解するのではなく、理解しようとしている個人が最初からそして永遠に不在であることの理解が起こる。
  • ミーティングの意義は、気づきとしての自己の側面に焦点をあてること(より正確に言えば、気づきが気づきとしての自分を認識すること)が日常生活よりも容易であること。その意味では、一日ミーティングよりも週末の2〜3日のミーティングかもう少し長いリトリートの方がいい。
  • ミーティングなどで一定の理解に達しても、日常生活のハードルが高い環境でその気づきに留まることは簡単ではない。マインドのレベルでの理解の後は、感覚のレベルでの理解に取り組むことで、より気づいている時間が持ちやすくなる。そのどこの部分でも、オープンであること、勇気をもつこと、正直であることが重要。こうした探求ということ自体も、マインドにとってはしがみつきやすい格好の対象になりがち。「自分」の本当の意図を見抜く意味でこのような態度が役に立つ。

ということで、話の内容そのものはルパートのウェブサイト等で語られていることと当然ながら同じでした。

ですが、これは昨年のSANDの時にも感じたことですが、それぞれの人の無知の部分に反応するのではなく、無限で位置をもたない気づきとしての自己に対して話しかけているんだな、という感じがリアルに感じられ、とてもハートに響く体験になりました。

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探求の本質 ルパート・スパイラのロンドン・ミーティング」への4件のフィードバック

  1. はじめまして。
    suhoさんから先日、ヒロさんのブログ記事をご紹介いただいて、こちらのブログをはじめて知りました。

    本当にとても学びになる深い内容が記載されていて、とても参考になります。

    そして、この記事内にありました、

    『ミーティングなどで一定の理解に達しても、日常生活のハードルが高い環境でその気づきに留まることは簡単ではない。マインドのレベルでの理解の後は、感覚のレベルでの理解に取り組むことで、より気づいている時間が持ちやすくなる。そのどこの部分でも、オープンであること、勇気をもつこと、正直であることが重要。こうした探求ということ自体も、マインドにとってはしがみつきやすい格好の対象になりがち。「自分」の本当の意図を見抜く意味でこのような態度が役に立つ。』

    このことは、私自身の現在の意識段階で、取組んでいるとでも言いましょうか、とても共感できる内容だったため、思わず感銘をうけてしまい、勇気を出してコメントさせていただいている次第です。

    自分の本当の意図を見抜く意味で、私は自身のブログで時々マインドを曝け出して書いていたりもします。そのおかげで、見えてくるもがやはりあります。

    マインドにとっては不都合なことでありますので、苦痛や、恥ずかしさなどがありましたが、だんだん分かってくると、以前よりもふらつかなくなってきている自分に気づきます。

    『ただ、その動きを見抜くこと』

    このことの意味は本当に深いと感じています。
    このようにコメントさせていただいてる間も、見抜くことをしていたりもしますが、なかなかそどうして、まだまだであったりします。

    ヒロさんのブログを、これからも拝読させていただきたいと思っております。
    はじめてのコメントなのに、私事をいろいろと書いてしまいすいません!

    お読みいただいて、ありがとうございました。

  2. ahava@房さん、初めまして。読んでいただき&コメントをいただきありがとうございます。

    取り組みをそのようにブログで公開するということはなかなかできないことだと思います。僕などはつい格好良く書こうとしてしまい、さらにそれに無自覚であることも多く、そうなると何のためにやっているのかな、という感じになることもあります。

    ただ、今日行ってきたジェフ・フォスターのミーティングでも言われていたことなのですが、そうしたみっともなさとか情けなさも含めて、すべてが気づき、ライフ、無条件の愛、実在といろいろな名前でよばれるそれの表現であり、それに対しジャッジをしてしまうような思考も含めてすべてが無条件の愛が形をとって現れたものだということでした。

    ルパートも当然同じことを言っているわけですが、ただ、このようなことを理屈や概念として分離した個人が持つことは違う意味を持つというのは何度も彼が繰り返していることだと思います。

    今後ともよろしくお願いいたします。

  3. ルーシー・リーに囲まれての、ルパートのミーティング。
    それだけで、引き込まれてしまいます。

    彼のインタビューを見ていて感じたのは、彼の言葉と言うのはとても深いところに響いてくるのですね。
    「つかみどころがない」感覚とは逆で、非常に確かなものとして受け入れられるのです。とても丁寧に伝わってくるというのか。

    ジェフのミーティングにも行かれたのですね。
    記事はアップされるのでしょうか。。楽しみです。

  4. 言葉が発せられる元と、言葉が届くことを意図しているその先というのが、多分普通の人の言葉とは違うのかなという感じがします。

    そして、彼はcontemplate(熟考する、熟慮する)ということをよくいいますが、数十年に渡って言葉や経験について熟考してきた人だからこそ、熟練した職人のような確かさが生じるのかなと思います。といっても頑固さはなく、哲学者の透徹した目と少女の恥じらいや繊細さが同居しているようで、とても不思議です。

    コメントどうもありがとうございます。

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