放棄すべきものは何か ルパート・スパイラ

 
Rupert Spira (ルパート・スパイラ) のQ&Aを和訳して紹介するシリーズ、今回は放棄することについてです。

176) Giving Up The Personal Entity

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個人的存在を放棄すること

Q.
人生のどんな部分についても計画することには意味がなく、単に放棄して何が起こるかを見ていればいい、と考えるのは適切なことでしょうか?

A.
いいえ!放棄すべきは、自分が分離した存在なのだという信念のほうです。この信念を手放すと、その当然の結果として、マインド、身体、世界のレベルである種の変化が起こります。

起こり続けるものの中には実用的な思考があり、そうした思考の中には計画を伴うものもありますが、そういった計画が分離した存在を中心に展開することはなくなります。そうした思考は、雨や道を通るクルマの音のようなあらゆることが現れるのと同じように、非個性的なやり方で単に現れます。言い換えると、あなたの思考が個人的な存在というものを含んでいるような場合には、その思考が展開する中心となっている個人的存在というものは存在していないことを明確に理解してください。そうすれば、結果的に思考は止まります。

個人的存在が存在しているという信念を含まない思考が起こるときは、それが慎重な計画を伴うものであったとしても、それが展開するに任せ、さらにそれが最後まで完了するのに任せていてください!

つまり、個人的存在を放棄し、何が起こるのか見てください!

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とてもトリッキーな部分なだけに、面白いです。

ルパートのQ&Aやインタビューで触れられている、信念の放棄と新たな信念の上書きの違いということにも共通することだと思います。前者が自由につながるのに対して、後者はかなり巧妙に自由であるかのように偽装されたやっかいな不自由につながるということでしょうか。

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放棄すべきものは何か ルパート・スパイラ」への3件のフィードバック

  1. はじめまして。ごまと申します。
    「個人的存在が存在するという信念を含んでいない思考」というのを一元性を体験していない人が判断するのは非常に難しいですよね。心はかなり巧妙なので。アドヴァイダの教師たちが言うことは多くの場合かなり共通性があり、すでに知っていることを聞いているというという感じを受けること多々ありますが、かといって自分が分離した個人ではないというという事実を頭で理解しているだけということは、ルパート・スパイラ氏の言うもうひとつの宗教になっているだけの状態で、そこをいかに突き抜けるか、、、というところで長い間さまよっています。

  2. ごまさん、はじめまして、こんにちは。コメントどうもありがとうございます。

    本当にそうですね。どんな理解や判断も、それを自分がしたのだと主張するキャラクターがすぐに出てくるので、お手上げです。もはや笑って(又は苦々しく)眺めているしかないのかもしれません。

    と達観したようなことを言いながら、答えはどこかなと探したり、お!ちょっとだけ分かったかもしれないぞ!?と右往左往する人がいつものようにここにいます。

  3. 愚痴ともつかないコメントにお返事いただきありがとうございます。しかも誤字だらけ、、、(^_^;) 失礼しました。
    最近はいろんな本を読んでも既知感を抱くことが多く、一方で自分自身には何の変化もなく、だけどきっぱりとあきらめもできずとまさに右往左往しています。

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