師と愛と言葉 ルパート・スパイラ

 
ルパート・スパイラ(Rupert Spira)のQ&Aから、今日は言葉と愛と師について、そして公開Q&Aそのものについてです。

96) Words Are The Outer Layer Of The Teaching (OASG 107)

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言葉は教えの外層

Q.
インドの伝統では、教えというのは、グルや師によって活性化される洞察やエネルギーが、生徒の側の能力に従って転移することであるとされます。言葉は使われたり使われなかったりしますが、いずれにしても言葉はメインの器ではありません。

私は探求の道にある他の人たちとのやりとりを楽しんではいますが、たいていの場合それは誠実な自己探究から、さまざまな見解が戦い合う戦場にかわってしまいます。コメントをいただけますか?

A.
言葉は教えのメインの器ではないということについて、あなたの言うことはもっともです。言葉は教えの外層です。

とはいえ、言語には、一連の抽象的な音の集まりであるということよりもっと様々なことがあります。たとえば、私たちはただ「ハロー」と言うときにも、無数の言い方があるということを知っています。そうした異なる言い方は、言葉に深さと意味を加えます。というより、言葉そのものよりも、その言葉をどのように言うかということの方に、真の重要性があります。同様に、理解の本質を伝える師や教えには、多くの他の側面があります。

そういった微妙な表現方法といったことよりも更に大きく影響しているのは、その言語が生じるもとになっている愛と理解です。言葉がこの静寂から生まれるとき、言葉はいわば静寂を宿していて、聞く人のハートにはっきりとその静寂が届けられます。聞く人は静寂の種がハートに蒔かれたことに気づいてさえいないかもしれません。後になってそれが私たちの中で成長しはじめたとき、何かが変わったという事実にはじめてマインドが気づきます。それを知る必要はありませんし、むしろ、種がどのようにいつ蒔かれたのかを知ることはできません。

それは恋に落ちるのと似ています。なぜあの特定の表情またはあの特定の笑みがこんなにも激しい愛を呼び覚ましたのだろう? そんなの知ったことではないし、構うものか!です。

そして、この愛が私たちの中で呼び覚まされたとき、それはずっと常に知っていたけれども一見忘れていたような何かではなかったでしょうか? この愛を、もっとも親しみがあって何よりもよく知っていることとして認識するのではないでしょうか? 私たちが生きているのはこのためであり、その人のためではなくこの愛のためである、ということを知っていたのではないでしょうか?

教えや師についても同じです。教えや師の何が、この絶対への愛を目覚めさせるのでしょうか? 私には分かりません! 外観や言葉やしぐさがどうしてハートをとろけさせることができるのでしょうか? 私には分かりません!

私たちがティーンエイジャーのときに愛は恋人次第だと感じたのと同じように、この愛は師次第であるように最初は見えるかもしれません。ただ時間がたつにつれ、師や教えが目の前にないときもこの香りはいつまでも残るようになります。たぶん、師や教えのことをただ考えるだけで、ハートの中にあるこの愛が再び目覚めるでしょう。

やがて、師や教えのことを考えることさえ必要なくなります。この愛は自身の手により自己に目覚めます。というよりも、それは常にそのようなものであったのであり、師や教えや恋人や子どもは、見かけ上の存在をハートに戻らせるためにこの愛がとったただの形だったのです。

これは、師との関係を通して道を歩む人たちのためにだけ書かれました。これがすべての人が歩むべき道だということではありません。

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ここのような公開の討論の場で起こる言葉のやりとりと、自己探究が意見同士の戦場になってしまう可能性についての質問に移りますが、このようなことが言えると思います。こうした公開の討論の場というものに限界があることは確かですが、こういった場が無効であるというわけでは決してありません。

私には他の場についての経験がほとんどありませんが、このグループのたくさんの人たちとの非公開のやりとりから考えると、ここで起こっていることは独特なことなのだという印象を持っています。

百を超えるQ&Aの中で、完全に知的な側面に留まっているものは一握りしかありません。実際のところ、私たちのやりとりの奥行き、寛容さ、率直さ、誠実性に私は非常に感動していますし、正直にいえば、このような公開の討論の場でどれだけ多くのことが伝わるかという点に驚きを感じています。

やりとりの中で自分の気に入らない部分があるとしたら、ただ単にそれを気にせずに他へ目を移すべきでしょう。ただ自分用ではなかったということにすぎません! 全員がここで伝えられていることすべてに関心を持つということはないでしょうし、すべてに目を通す必要もありません。

自身の経験と共鳴する一部の対話を選んで、他は放っておいてもいいのです。他の人との間で問題を抱えているとき、私たちは戦場に立ち入ることになってしまうのです。

(Q&Aは以上)

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今回のQ&Aでは、これらのQ&A自体についてルパート・スパイラがどのように感じているのかということが明らかにされていて、とても興味深いと思います。

そもそも僕がSAND 2010で彼のセッションで衝撃を受けたのは、彼が最初の一語を発するよりも前のことでした。その静寂がもっている豊かさになんとも言えない気分になりました。もちろん言葉も良かったのですが、言葉が外層であるということには大きく頷きたい気分です。

このQ&Aで言われているように、ウェブサイトのQ&Aという形でも確かに多くのことが伝わっているのだとは思いますし、自分でもそう感じるので紹介したいと思ったのですが、この伝わり方というのは僕や他の伝わってきている人たちが「生」のルパート・スパイラに会ったことがあるからなのか、必ずしもそれは必要ではないのかという点には興味があります。

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師と愛と言葉 ルパート・スパイラ」への4件のフィードバック

  1. ヒロさん、あけましておめでとうございます。

    >この伝わり方というのは僕や他の伝わってきている人たちが「生」のルパート・スパイラに会ったことがあるからなのか、必ずしもそれは必要ではないのかという点には興味があります。

    私はルパート・スパイラ氏には会ったことがありませんが、彼の言葉(というかヒロさんの言葉?)にはとても感ずるものがあります。
    スパイラ氏のような覚者に会う必要があるのかないのか、という点に関してはよくわかりません。
    個人的には、そのような方に会う流れになっています。
    個人ではどうしても知的理解の壁を超えられない、というか、頭では理解していても、どうにも消えないかすかにもやもやとしたもの(「私」)があるからです。
    でも、人それぞれのプロセスがあると感じます。

  2. suhoさん、いつも読んでくださってありがとうございます。今年もよろしくお願いします。

    コメントどうもありがとうございます。流れというのは面白いですね。全く同じ場所にいて全く同じ話を聞いていても、全然違うことを受け取っている、そして受け取っていると思っていることではないことを受け取っていたりと、コントロールしていない要素だらけだなあと本当に感じます。

  3. ハートに響く文でした。ありがとうございます。
    ルパート・スパイラ、一度お会いしたいです。

    (もっと感想を書きたかったのですが、気持が静かになってしまいました笑))

  4. ルパート・スパイラ氏は2011年はかなり多くのリトリートやミーティングをするようですので、チャンスがあればぜひ参加されたらと思います。

    彼は今年はオンライン・ミーティングも定期的に開いています(音も映像も解像度の問題と思いますが完璧ではありませんので、直接会うのとは全く違う体験かもしれませんが)。

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