ウンマニのミーティング

 
今日は午前中にテートモダンに行っておかしな作品の数々を眺めたあと、CAAというギャラリーでルパート・スパイラの陶芸作品を見ました。彼の陶器はウェブサイトでいくつか写真を見たことがありましたが、今日は部屋のなかで少し不思議な存在感を醸し出していました。

夜はウンマニ (Unmani) というアドヴァイタ系の覚醒者のミーティングに行く予定にしていたのですが、実のところ迷っていました。

というのは、名前からも分かるように彼女はOSHO(和尚)のサニヤシンで、インドのプーナに住んでいた人です。僕自身はOSHOにもサニヤシンも親近感をもっておらず、逆に少しいかがわしさを感じているので(何の投影でしょうか?)、それだけでもどうしようかなという気がしていました。

そしてYoutubeで彼女のビデオを見ると、見た目も話し方も、悪い意味での「現代サットサン文化」の典型のように感じられました。

さらに気持ち悪く思えたのは、ウンマニのウェブサイトに自身のライフストーリーが細かく延々と書き連ねてあったことです。悟った人がここまで一人のキャラクターの人生にぴったりくっついているということは異様にも思えました。

冷たい雨が降っていたこともあって、ギャラリーから戻った時点では、無理して行くこともないやという気になっていましたが、結局行ってきました。

理由は説明できません。説明したところでそれはマインドの創作でしかない、ということが今日のミーティングで腑に落ちた気がしているので、いまは説明する気になれないのです。

ある男性の住宅でミーティングは行われました。参加者は10人です。普通の部屋なので、昨日のロジャー・リンデンの自宅と同じように親密な雰囲気に好感をもちました。

が、ウンマニが入ってくると、その服装にのけぞりました。二十世紀か!とつっこみたくなるような色と形の服を来て、雰囲気はまさに時代遅れのヒッピー崩れか出稼ぎ外国人かという感じでした(ここまで失礼なことを書くのもどうかと思いますが、そうとしかいいようがありません)。

知性、フィーリング、美(フランシス・ルシールによる教師選択の基準)のどれをとっても僕にとってはダメという印象です。

でも、あきらめて座っていると、妙なことに時間がないような感覚にとらわれはじめ、現実感がおかしい感じになってきました。ウンマニが黙って座っているので、その感覚がますます強まって、そのうち床が抜けるのではないかという感じの恐怖が襲ってきました。

それが少しおさまったところで話が始まりました。こんな感じでした。

「問題はあなたが誰かということです。これは思考や概念ではなく、記憶でもなく、いま確かなことから答えてください。本当に確かなことはなんでしょうか。気づきがあるとか、プレゼンスがあるとか、I am THATとか、そういう退屈な決まり文句はやめてください。いまここで本当に確かなことが何かあるでしょうか。

なぜこの部屋にいるのか自分で分かっていると思うかもしれませんが、本当にそうでしょうか。この部屋にさっき他の場所からやって来たということさえ、記憶である以上、いま本当に確かなことであると言えるでしょうか。

ここにいるのは誰でしょうか。私というのは何を指しているのでしょうか。マインドは何か答えるかもしれませんが、それは本当に確かなことでしょうか。

あとで確かめてみようではなく、いまここで実際に確かめてみてください。それは面白そうだからとっておこうではなく、いまやってください。いま確かなことをみてください。

思考は時間の中で、因果関係の中でしか存在できません。思考は時間を超越したものを絶対に理解できません。ですが分かっているふりをすることが非常に上手で、本来は役に立つツールにすぎないものなのに、いつも主人公としてふるまおうとします。でも、思考の本質が明確に理解できれば、それは自然に崩壊します。

ですが、ここで私が話したことはまったく不適切で無意味なことです。ひとつも正しいことはありません。自分は誰かという問いも、それが良いものであるという概念に基づいて行われる限りは思考によるものです。

すべて自身で確かめてみてください。」

こうして書いてみると「そんなものか。どこかで聞いたことがあることばかりだね」という感じですが、この部屋に自分で来たということでさえ確かではないのではないでしょうか、と言われたときの異常な不確かさの感覚はどうにも強烈で、しがみつくものを探したくなる猛烈な衝動が沸き起こりました。

リアリティの本質というものを理解している人の存在というのは強烈だなという印象です。(おそらく他の教師より理解が深いということではなく、その理解をどれだけあからさまにこの世界で表現しているかということかなと思います)

彼女の話が終わると、質問者を求めますが、ウンマニの特徴は質問者を前に出して彼女の横に座らせることです。そこで質問の意味を深く問いかけ、最後は質問が出る余地もなくなるという感じで進みました。ウンマニがプーナでセラピー系のことをだいぶやった人だというのも関係するのか、そのラジカルさというか曖昧さを残さない攻め方はなかなか見たことがないようなものでした。

僕自身は前には出ませんでしたが、「一瞥」の経験を持つ人が2人いて、それぞれ前に出ていたのですが、まさに必死に思考がフルスピードで自己を守る運動をしている様子と、同時に深いところではすでに全部分かっているという様子(質問者は最初から存在していないという感覚)が手にとるように分かり、エキサイティングでした。すべて他人事ではないということが明らかなだけに、僕自身も身を乗り出して聞いてしまいました。

そんなわけで、最初はあまり乗り気になれなかったミーティングでしたが、結果的には、知らないということのど真ん中に放り込まれるという僕好みの体験ができて、面白くて怖い時間でした。

ウンマニのウェブサイト Not-Knowing

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ウンマニのミーティング」への3件のフィードバック

  1. うーん。。
    スリリングな感じが伝わってきました。。

    ヒロさん、この記事を僕のブログに転載してもよろしいですか?
    もちろん出典リンクつきです。

  2. 自分としては、あまり期待していなかっただけに不意打ちをくらった感じでした。途中で「これはなかなか面白いことを言うなあ。覚えておいて帰ってから考えよう」と何度か考えていたのですが、「時間は本当にない」と真顔でウンマニが繰り返すので「後で考えよう」という部分が諦めたとたん、本当に起こっていることしか起こっていないんだという安心感があることに気がついたりして、面白かったです。

    転載はどうぞしてください。いつも読んでいただいてありがとうございます。

  3. ありがとうございます。
    もうアップしちゃいました。
    ヒロさんの記事をもとに、自問自答。
    結果、suhoのマインドのぐるぐるぶりが顕な感じになりました。

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