覚醒と自己認識 ルパート・スパイラ

 
ルパート・スパイラ(Rupert Spira)氏のウェブサイトから興味深い文章を引き続き紹介します。「覚醒と自己認識」というQ&Aです。

127) Awakening and Self-Realisation

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Q. 無意識的に抱えている限定的な観念・信念を取り除くことは、覚醒や自己認識といったことと何か関係があるのでしょうか。あるとしたら、どのような関係がありますか。こうした観念・信念のエネルギーが解放されるにつれて、やすらぎが深まり、より愛情に溢れ、智慧と思いやりの表現がうまくできるようになってきています。でも、こういったことは覚醒や自己認識とは別のことであって関係がないようにも感じられます。

A. 私は覚醒と自己認識を区別しています。覚醒 (私の言葉の使い方ですが) とは、自分が制限も位置もない意識であるということを経験に基づいて理解することです。それは瞬間的なものですが、必ずしも即時というわけではありません。

自己認識とは、精神と肉体がこの経験的な理解によって再調整されることであり、それには時間がかかります。したがって、無意識で限定的な信念の解消は、我々の本来の性質に目覚めたことの結果として自然に起こる何かであると言えます。とは言うものの、この再調整に力を貸すことも可能です。

あなたが書いたような経験、つまりやすらぎや愛情や智慧や思いやりといったことは、自己認識のプロセスの産物であり表現です。ただし、精神と肉体のそうした適応は、覚醒に至る探求の最中にも起こりますし、その直後の影響の最中にも起こります。

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ということですが、いま読んでいるアジャシャンティの本によると、覚醒後のマインドと肉体の調整期間(彼の場合は数年以上かかったそうです)においては、上にあるような肯定的なことよりも、混乱とか肉体的な不調のような「否定的」(エゴにとってという意味で括弧をつけるべきかなと思います)なことがむしろ一般的には多いそうです。

ただ、それについてもアジャシャンティによれば例外もあって、それは個人によってカルマの荷重がかなり違うといった理由によるものということで、おそらく宗教的な観念や社会的な観念なども関係してくるのでしょう。

このあたりはとても分かりづらく、結局普遍化するのは難しいことなのかなという気もします。

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覚醒と自己認識 ルパート・スパイラ」への2件のフィードバック

  1. ヒロさん、はじめまして。

    しばらく前から、こちらの記事を読ませていただくようになりました。

    ルパート・スパイラもこちらで初めて知ったのですが、とても気になります。

    英語のHPも見つけ少し読んで見たのですが、自分の場合には英語が苦手で困っているところでした。

    そんな時に、この様な記事がアップされたのでとても喜んでいます。

  2. kosumosuさん、こんにちは。コメントいただきありがとうございます。

    ルパート・スパイラも言っているように、言葉はパッケージでしかなく、内容は異なる方法で伝播するということであれば、言葉だけを紹介(しかも下手な翻訳で!)することにどんな意味があるのかと考えてしまうのですが、あまり考えすぎずに思いついたことをやってみればいいのかもしれませんね。そのように納得しています。

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