自然と不自然

今日はノンデュアリティカンファレンスの公式日程の最終日でした。(その後にもワークショップは個別に行われます)

朝起きると外はひどい風雨で、7時になっても真っ暗でしたが、カンファレンス会場のホテルに滞在しているので助かりました。

今回は起きている間はずっと非二元が基本になっている環境に身を置いているため、リアリティというのは唯一にして永遠の実在のことを指し、現実の現象世界は見かけであるという認識がもはや当然のようになってしまっています。

これがもし何年も続けばどうなるのかなと思ってしまいますが、考えてみればアシュラムで長期間生活している人というのはそういうことで、それだけで何かがどうなるというわけでもなさそうです。

今回の場合もカンファレンスが終わればその点についてはすぐに元に戻るのかもしれません。が、人の認識は面白いものだとは思います。

今朝はフランシス・ルシールの瞑想で始まりました。朝一番なので人数も少なく、親密な雰囲気のなかで進みました。メディテーションの時間と言っても、フランシスが途中で話を始め、後半はQ&Aとなりました。

瞑想は行うものではなく起こるものであるとか、覚醒してもマーヤの中に存在し続けるわけだが仕掛けを知っている手品を客席から見ているようなもので現象は認識するが左右はされないとか、修行の方法にこだわって楽しさを忘れるのは良くないとか、知的な理解は必要なことであるもののそれを体験として味わう段階が必ず来るとか、興味深い話が展開されました。

フランシス・ルシールは本当にジョークが多く、会が終わっても廊下で人々を笑わせていました。

午後は、面白いセッションがありました。ジェフ・フォスター、ルパート・スパイラ、スコット・キロビーの3人が壇上に上がってのパネルディスカッションだったのですが、なかなか見ることのできない光景だったと思います。

基本的にはこの3人のように実在(プレゼンス)を認識している人同士の場合、認識していることは同じはずですが、表現方法はかなり違い、グルや教師が複数いる意味を感じました。

印象的だったのは、ある活動家の女性の

「気づきの状態が素晴らしいのは理解できるが、そうやって存在している状態ということと、社会の不正義に対するアクションというものがどう結びつくのか?」

という質問に対する答えです。

ジェフは、不正義に対しても何にしても「こうすべきである」というイデオロギーや主張を持っている場合、ありのままの現実を見ることから離れることが多いため不自然となり、結果的に自分にも世界にも分離を生むことになると答えていました。悟っているからと言って「これは現実には起こっておらず、すべて見かけだけの世界のことだ」と言いながら高みの見物をしているわけではなく、現象の世界のなかでは自然な反応として自然な行動が起こるということでした。(例として、道を渡る老人を見たら考えることなく手を差し伸べるなど)

ルパート・スパイラもスコット・キロビーも、これについては同じように答えていました。自然に出てくる行動というものがあり、それは右手が痛みを感じたときに左手がさっと動くのと同じで、「左手は右手を助けるべきだ」という信念を持っている必要はない、ということを言っていました。

この自然と不自然というテーマは、今回覚醒した人たちを見ていて感じていたことでもあります。

彼らはみな表現されているものを信頼し、リラックスし、無理が感じられない、つまり自然であるというのが共通点で、これに対して覚醒していない普通の講演者の場合は、何かの概念をもとに信念体系を作り上げていたり、それに挑戦するものに必死に抵抗したり(抵抗している自分を見ることにも抵抗したり)、かなりの不自由さを感じさせました。同時に見ているので、そのコントラストはかなりはっきりとしていました。

分離した肉体に閉じ込められている自分という認識を基本とした場合、特定の参照点から時間に沿った履歴をもとに何もかも組み立てるため、どうしても認識に偏りが出てしまうんだなということが少し体感的に理解できた感じがします。

また、ある女性はこう質問していました。

「自分は非二元という究極のリアリティを体験したけれど、それを他の人とシェアしようとしてもうまくいかない。どうしたらいいか?」

これに対し、ルパート・スパイラは

「シェアというのはするものではなく、自然に勝手に起こるものである。シェアしようとする自分と、それを分かってくれない他人という幻影がもしあるとすれば、シェアは起こらないかもしれない」

と言っていました。

ジェフ・フォスターも別のところでですが、「サンセットは人を感動させようとして美しい現象として現れているのではない。が、人はそれを見たときに感動し、人によっては言葉で伝えたり、歌にしたり、写真をとったり、絵を描いたり、詩にしたりする。だがサンセットはそれを気にしたこともないだろう。」と言っていました。

そうした態度が自然というものであり、そのときには現象はよりスムーズに展開されるのだろうなと感じました。

そして、今日はパペジ (Puppetji) という人形のライブパフォーマンスで大爆笑のうちに幕を閉じました。(こんな感じの人形です。非二元の彼流の智慧をインドなまりでしゃべります)

以下はこれまで4日間の記事です。
1日目 セックス、ドラッグ、アルコール、瞑想
2日目 明快さと優しさ/ 切断と溶解
3日目 アジャシャンティと投影
4日目(1) ルパート・スパイラとフランシス・ルシール
4日目(2) グルの役割

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