グルの役割

今回、ノンデュアリティカンファレンスに参加して何人ものアドヴァイタ系グルに接するなかで、グルというのは何だろうという問いが改めて出てきました。

Jeff Foster (ジェフ・フォスター) はサットサンのときにこう言います。

「自分は教師ではない。あなた方は生徒ではない。教えることはなにもなく、教えることはそもそもできない。ここで起こっているのはシェアリング(共有)である。」

じゃあ何をシェアしているのか?ということになりますが、これについては語っていません。言えるのは、ジェフ自身はそもそもグルを持たない中で覚醒したので、そもそもサットサンで何がシェアされるのかということについて経験から確かなこととして言えることはないのではないかということです。

そうすると、グルについて考えるときには、グルとして覚醒者(覚醒者という個人は当然存在しないはずですが、見かけ上の「覚醒者」の意味です)を生み出した実績のある人の言葉を参考にしたほうがいいという気がしました。

そこで、Rupert Spira (ルパート・スパイラ) を覚醒させた、または覚醒の最後の引き金を引いたFrancis Lucille (フランシス・ルシール) に注目し、彼がグルについて語っているサットサン動画を見つけました。その概要はこうです。

  • 複数の教師に同時に従うことはすすめられない。それは集中を妨げる。月曜日は教師A、火曜日は教師B、水曜日は・・・というのでは何も起こらない。一人の教師に従うべきだ。インドで言われているように、水を得るには1フィートの深さの井戸を1000個掘るよりも、1000フィートの井戸をひとつ掘った方がよい。
  • 教師は、知性、フィーリング、美の三点で自分に共鳴するかどうかという観点で選択する。そして一度教師を選択したら、言われたことはその通りに行うということが生徒の責務である。万が一、途中でこれは違うと思ったら、その時は教師を選択し直せばいい。たとえば特定の信念体系を押し付けるような教師であれば、違うかもしれない。
  • 学びの過程は主に知的なものが主体となるが、ある段階に至ると、exposure(露出、被爆、実際の作用に触れること)が必要となる。それは、炎のまわりをグルグルと飛んでいた蛾がついには火の中に飛び込むことにたとえられる。

そして、生徒のルパートはインタビューでグルの役割についてこう答えています。

  • 生徒の側の深い思慕が恩寵を引き起こし、また恩寵によって生徒の側に深い思慕が沸き起こる。この相互作用の中でグルは現れる。
  • グルは個人としての生徒に出会うのではなく、生徒として表現されている実在(presence)に出会い、そのように扱う。この扱い方が生徒の側の何かと共鳴を起こし、本来の自己(Self)が目覚めはじめる。そのことにより、実在の本質が輝きはじめることになる。
  • このプロセスでは言葉は必ずしも必要とされず、生徒のマインドが知らない間にプロセスは進んでいる。

これらの言葉は、人間の肉体をもったグルの存在が必ず必要であると言っているわけではなく、またそういうグルがいないと自己の本質に目覚めることは無理であると言っているわけでもありません。

ですが、そういう出会いの中で覚醒した生きた実例を今回間近で見た中で感じるのは、これは起こるべくして起こることであり、それは受け入れるも受け入れないもなく、恩寵が世界に浸透していることの一つの最高の表現として展開されているのだろうなということです。

準備ができたときグルは現れる、という言葉の意味が少しだけ分かったように思います。

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