アジャシャンティと投影

ノンデュアリティ・カンファレンスの3日目でした。

夕食時間の後もアドヴァイタ関連の映画の上映や「非二元ラップ」のライブなどがあるのですが、朝から英語を聞いていてすっかり疲れたので、今日はおしまいとしました。

今日はいくつかの講演に顔を出しましたが、注目はアジャシャンティでした。

満席の会場は彼が入ってくる前から興奮気味で、アジャシャンティがいかにこのエリアでスターであるかが実感できました。この数日、何人もの参加者から「アジャシャンティはすごい」とか「アジャシャンティはカリフォルニアではすごく有名だ」とかいうことを聞かされていたのですが、実際にその興奮を見てみると、本当にそんな感じでした。

周りがあまりに夢中になっているので(両隣の女性などは完全にうっとりしていて、生徒というより信者といった方が適当な感じでした)、逆に自分は冷静に眺めることができたのはよかったです。

アジャシャンティのもとで学んで覚醒したスコット・キロビーという人の一昨日のワークショップで彼が言っていたことを思い出しました。

「アジャシャンティがあまりに素晴らしく見えて、賢さ、謙虚さ、洞察の深さなどにしばらく夢中になって、ほとんど礼拝の対象にしていたことがあった。ある時、それは美質というものをすべて彼に投影していただけということに気がついた。こういう投影をshadow huggingを呼んでいるが、否定的な部分をすべて他者に投影するshadow boxingと同じくらい有害だ。」

スコットはこのシャドウハギングをやめてからアジャシャンティの話が入ってくるようになったということでした。

といっても、巧みな話術やチャーミングな表情が「覚醒」という事実と組み合わされればこのようにスター視されるのは仕方ない面もあると思いました。

アジャシャンティ自身は、話の最後に最も大切なこととして、こう話していました。

「私の話を新たなコンセプトや信念体系として身につけてしまえば、真実の探求からはどんどん遠ざかることになる。ポインター(方角を指すもの)としては使ってもらってもいいが、他人の考えを真実として扱ってそれに寄りかかっている限りは絶対に自分とは誰かという問いに答えは得られない。すべての材料はすべての人の目の前に常に展開されている。」

実は、アジャシャンティが登壇する数人前に、「自称」覚醒者の女性アドヴァイタ系グルが話をしていました。

「自称」というのは僕の勝手な見解ですが、悪い意味での欧米サットサンブームやいわゆるネオ・アドヴァイタの典型というのを体験できて、これも貴重な体験でした。上のアジャシャンティの話とは逆で、グルとしての自分が必要とされる状況を自分が求めてしまっているという印象で、おそらくそのようなグルにはそれに応じて信者が集まるのでしょう。

他にも伝統宗教の教条主義そのものという感じの人たちも講演をしていて、スピリチュアルの観念体系でがんじがらめになっている例も見ることができました。

一気にいろいろな先生(自称先生含む)に接することができるというのも、見本市と言ったら怒られそうですが、今回のようなカンファレンスの意義かなと思いました。

僕が何もわかっていない立場で勝手な人物評をしているというのも恐ろしい話です。ただ、こういうジャッジメントも抑えるのは不健全な気がするので、こう感じたということはしっかりと意識したいという感じです。

以下はこれまで2日間の記事です。
1日目 セックス、ドラッグ、アルコール、瞑想
2日目 明快さと優しさ/ 切断と溶解

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