説明のつかなさの魅力

ジーナ・レイクの『根本的な幸せへの道』(原題Radical Happiness)という本を読みました。

スピリチュアル系のキャリアが長そうな彼女ですが、これまでの著作が宇宙連合云々とか第四密度云々といった宇宙系チャネリングのものだったので、自身の悟りの体験に基づく本を出したと言っても「どうせアドヴァイタの流行に乗って新しい商売をしているだけだろう」と思って、しばらくパスしていました。

ですが、スペースまほろばのブログでお勧め書籍のひとつになっていることに気づき、じゃあということで読んでみたのです。

で、途中までは、覚醒してもその後も自我とのせめぎ合いが当分続くというようなことが書いてあるので、なかなか面白いなあという感じでした。途中で何度も出てくるエクササイズもそれ風で説得力があります。

ところが、最後まで読んでみるとどうもすっきりしません。あまりに整理されすぎているというか、説明されすぎているという感じがあります。覚醒や悟りということに何か過剰な期待や変な投影を自分がしているからかな、とも思いましたが、それでも言葉で表現できないはずのことがテーマの割には、言葉がすっきりしすぎている感がありました。

同じような印象を少し持ったのが、ラメッシ・バルセカールの著作です。彼も覚醒者と言われていますし、それ風のことが語られているのですが、どうも説明がすっきり出来すぎている感じがあります。晩年に彼に会った人のなかには、彼は知性やマインドに頼りすぎている嫌いがあるという人もいるようですが、そんな雰囲気です。

ジーナ・レイクやバルセカールの著作と比較すると、訳のわからなさがそのまま表現されていると思ったのがダグラス・ハーディングやジェフ・フォスターのインタビューです。言葉につまるときの表情や様子、意味の分からない(と感じられる)ところで何度も繰り出されるニヤニヤ笑い、自分が誰で今どこにいるのか一瞬見失っているかのような変な間など、そういうのを見ていると本物感を強く感じます。

もっとも、そこは表現力や語彙や説明の経験によっては、すらすらと説明できてしまってもいいのかもしれません。

が、訳のわからなさから遠く離れたジーナ・レイクの今回の整然とした著作を読んで強く思ったのは、結局世界の訳のわからなさ、説明のつかなさこそが自分を駆り立てるものであり、世界を理解しようとしているわけではなく、わからなさの真ん中に放り込まれることをむしろ自分は望んでいるのかなということでした。

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