山尾三省さんについて

先日静岡に旅行したときに袋井市の野草広場に寄り、『季刊生命の島』の「山尾三省追想特集」をゆずっていただきました。そこには、三省さんの家族、仲間、友人、仕事の関係者など本当に多くの人から寄せられた三省さんについての文がたっぷり載っていました。

そして、自分にとってはこの一冊を読んだことが、三省さんに対する感じ方に変化をもたらしました。

なぜそう思ったかの前に、僕にとって山尾三省さんとはどういう存在だったのかを振り返ります。バブルの絶頂期、10代のおわりころにインドやネパールに旅行したりしたことでヒッピーというものに興味をもちました。そして日本にも部族というグループがいたことを知り、そしてその中心的なメンバーだった山尾三省さんのことを知りました。当時『聖老人』や『自己への旅』、そして『狭い石』や『ジョーがくれた石』といった著作に触れたのですが、物質・人間中心主義の中央集権的な社会の仕組みにたいして、地面の高さから、多様な生き物や風や流れる水の静かな声を代弁するかのような文章がとても響きました。

その後僕は大企業に就職して有無をいわさぬ感じの労働の日々に埋没していくのですが、そうしたときも三省さんの著作や『自然生活』に連載されていたエッセイが、ひとつの逃避の場、深呼吸をするためのスペースになっていた気がします。山尾三省という名前を目にするだけで、自分のなかの自然とか、ゆっくりした時間の流れとか、名も知らぬ草花の息づかいとか、そんなものが感じられてホッとしていたのを思い出します。

引越しのたびに本の大部分を捨ててきたのですが、そんなわけで5回の引越しを経過しても、山尾三省さんの何冊かの本だけはずっと本棚で生き延びていました。

その三省さんの本を処分しようかな、と一ヶ月くらい前にふと考えました。その考えが出てきたとき、まさか!と思ったのですが、否定しさることができません。どうしてだろう、と考えてみたのですが、それはたぶん観念的な感じがするような気がしたからかもしれません。観念として何かを作り出して、その観念によって疎外されてしまうという哀しい感じをうけたようにも思います。世界の美しさを表現するほかの方法の方が自分にとっては今はしっくり来るというそれだけの話かもしれません。たとえば桝野正博さんの写真集『あめつちのしづかなる日』、それは自分も自然の存在であること、つながっていること、永遠の存在でないからこそ表現できる美しさがあることなどを自分に教えてくれたのですが、静かな写真がすごく深いところに響いてきます。そのダイレクトさや精妙さと比較すると、そうしたことを自分に教えてくれていたはずの三省さんの言葉は、ありのままというところから離れているように今は感じられて、その様が自分には違和感をもたらしたのかなとも思いました。

と言っても、結局は本棚にまだあるのですが、『生命の島』の記事のなかにいくつかうーんと言いたくなるようなものがありました。それで、自分が感じ始めていた違和感とかこれまでとは違う感じについてちょっと納得したのです。

それはお子さん何人かが指摘している、厳しい父親としての三省さんの顔、書いていることと行っていることが必ずしも一致していないという点といったところがまずありました。もちろん思春期のこどもたちは、どんな親であっても相対化し、そして言行不一致などは特に厳しくみているという側面もあるので、これが三省さん特有のものであったかといえば、それは分かりません。が、父の死というものに際して書かれた文に大きな悲しみとか喪失感がないということには多少驚きました。『狭い道』などでこどもたちに寄せる三省さんの思いを自分の親の思いに重ねながら読んでいた僕にとっては、それは読みたくなかったものでした。

読みたくなかったといえば、三省さんを資金的に援助していた古くからの知人の方の文章のなかに、三省さん一家が唐牛健太郎氏から継続的な資金援助を受けていたという記述もそのひとつでした。唐牛健太郎さんは60年安保のときに全学連委員長だった人で、そのあと大物右翼の田中清玄とのかかわりが報道されるなど、いろいろな見方がされている人です。どういう人であったかということは僕もよくわからないので置いておくとしても、たとえば三省さんがインドに一家で長期の旅をする際に唐牛氏に資金提供を求めたということ、そしてそのことが三省さんによっては最後まで明らかにされていなかったということは僕にとっては驚きでした。

唐牛氏がなくなったときに三省さんは一文を寄せているのですが、そこでは具体的なことは触れられていません。与論島かどこかで親交があったようだという推測はこれまでもされていたようですが、本人は詳しく語っていなかったとおもいます。僕の勘ぐりになりますが、それは表現者としての三省さんの一貫性をたもつために意図的に書かれなかったのではないかという気がします。

このようなことを読んで知った今、三省さんが書いていなかったことがらが、三省さんを苦しめていた面もあったのかなという思いがあります。もちろん表現者はすべてを開示するべきということは一切ありません。が、表現する人にその部分での葛藤があれば、それがまさに表現の質そのものになるのではないかなという気もします。

そんなわけで、僕は三省さんを半ば神格化して祀り上げていたことに気がつき、今はそうできないことを残念に感じながらも、どこかでほっとしているという複雑な気持ちでいます。本棚から三省さんの本がなくなるかどうかは今は分からないのですが、置いてあるとしてもこれまでとは違ったものとしてあるのかなと思います。

広告