精神の物質主義、ニューエイジ、マインドフルネス

ステファン・ボディアンの『過去にも未来にもとらわれない生き方』(原題Wake Up Now)を読みました。

まずとても面白いと思ったのは、禅の修行を10年続けた上で悟れずにその道をあきらめ、チベット仏教、そしてアドヴァイタと、師を次々と変えてきた遍歴をそのまま語っている点です。著者は覚醒した、つまり悟ったということを書いていますが、悟れなかった時点では何が邪魔をしていたのかということを分かりやすく書いています。

そして、悟りへの道、いわゆるスピリチュアルパスを歩んでいるという誤解、というかパス(道)があるという誤解がもたらす悲しい事例をいくつかあげていて、それらはかなり具体的な話なのでとても面白いです。特に伝統的な宗教や修行体系にありがちな罠については何度も繰り返しその弊害が述べられています。返す刀で、ディーパック・チョプラを名指しする形でニューエイジ的なものを批判しています。

マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想についても、それが主体と客体を区別するマインドの働きを強化するものだとして、その限界を強調しています。

結局悟り(覚醒)とは何でないか、悟りとは関係ないのに一般的には関係あると思われていることは何か、ということがずっと書かれているわけですが、本書の面白いのは悟った後も人格的に破綻していたりする例をいくつかあげているということです。悟りを定着させることの難しさ、悟った後の生活ということについて教訓めいた話が最後に続きます。

このあたりは、先日鈴木規夫さんのトランスパーソナルの入門セミナーできいた、悟っても人格的には発達しておらずコミュニケーションもまともにできないので西洋の文脈では尊敬されない禅の老師の話を思い出させるものでした。

著者の師のアジャシャンティやジーン・クライン、ニサルガダッタ・マハラジ、ラマナ・マハリシ、そして師ではありませんがバイロン・ケイティの言葉も散りばめられていて、かなり夢中になって読んでしまいました。文中に「この本に書いてあることは忘れてください」とあるのが、また面白いところです。

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