希望の伝染、臨在の力

先週、都内で行われた、ある「対話の場」に出てみました。以前から興味をもっていた方たちによるイベントだったので、とても楽しみにしていたのですが、予想外の体験をしました。

それは何かというと、環境とかエコとかそういうことが僕はかなり嫌いなのですが、そうでもないのかなということに気がついたということです。環境とかエコとか平和とか声高に叫ばれると、特にそれが市民運動だったりすると、嫌だなあという拒否反応が出てしまっていました。世界を語る前に自分のことをどうにかしたら、と言いたくなっていたのだと思います。市民運動などは、家庭や職場で欲求不満を抱えた人たちが、満たされていない自分の状態に無自覚なまま、外部に投影したりそれを糾弾したりする大変みっともない行為だ、くらいに考えていました。

確かにそういうパターンも実際あるのだとは思います。が、そうでもない場合もあるんだなと認識しました。

ひどい環境破壊や物質偏重主義による人間性の疎外といったものを解消することができる、と本当に信じている(らしい)人に、その対話の場で出会ったからです。その人は、先進国政府も大企業も自然破壊行為も敵視している感じではありませんでした。そして、人間が地球の自然環境を回復させる手伝いをすることができる可能性を語っていました。

それを聞きながら、不思議なことなのですが、その可能性を一瞬垣間見た気がしました。不可能と思っていた未来が実現する可能性を見せられた気がして、驚愕してしまいました。可能性と希望の磁場、その磁力に吸い寄せられた感じだったのでしょうか。理屈で説得されたのではなく、伝染したという印象です。

数カ月まえに、和尚(OSHO)の弟子のサガプリヤという方の本を読んでいたときに、「臨在」ということがひとつのキーワードだということに気がついたのですが、臨在の力っていうのはあるんだなと感じました。

最近、本を読むのもいいけれど、面白い人だなと思ったら2冊目を読む前に会いにいった方がいいなあと感じることが多かったのですが、またそんなことを改めて思いました。

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