トニー・パーソンズ『オープン・シークレット』発売日告知

 
『オープン・シークレット』(トニー・パーソンズ著) の発売日が12月15日に決まったようだ。

原著のThe Open Secretはかなり短めの本で、1995年に刊行されている。書き始めた当時、トニーには「解放」はまだ起こっていなくて、本が発売され、小さなトークの会を開いているうちにそれは起こったらしい (起こることではないが)。

彼の他の書籍とは違い、対話をまとめたものではなく、すべてトニーが自分で書いた文章が詰まっている。だからなのか、彼のいつものリアクション的な毒舌はどこにも見られず、わりと静かな感じで語りが展開する。

「(会場爆笑)」みたいなノリの良さとはほぼ無縁で、トニーのミーティングの雰囲気があまり出ていない気がして、僕としては一番好きな本とは言えなかった。だが、「けっこう残るなあ」と、今回翻訳をしながら感じた。

何が残るのだろうか。何かの余韻のような、懐かしさのような。決して強烈ではないが、深く染み渡っていることに気づく。

それと、この本はこの分野ではちょっと珍しいハードカバーだ。本文の紙も少し分厚い。ちなみに英国で出されているトニーの書籍のカバーには、ジョン・ミラーという画家の作品が使われている。派手さはないが、静かに印象に残る。今回の日本語版のカバーはハッとするような油絵だが、これはジョン・ミラー作品ではない。誰が描いたものでしょうか? (ヒント: 出版社)

ということで、『何でもないものがあらゆるものである』とは少し違った感じで読める本だから、トニーが好きな人、興味がある人はぜひ。

『オープン・シークレット』(Amazon)

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【おまけ】最近再び注目を浴びている(?)『ただそのままでいるための超簡約指南』を、pariさんが再読されたそうで、メルマガで取り上げていた。感謝。
『アセンション館通信』――ジェニファー・マシューズ再読

【おまけ2】このブログで継続的によく読まれているのが、じつはジョン・シャーマン関連の記事。彼のメソッドをごく最近やってみたという人のブログを発見。12月4日開始の「人体実験」シリーズ。
テキトーエレガンス

名古屋で宝を発見

 
しばらく前、用事があって名古屋に行った際、ON READINGという書店に行ってみた。以前、何かのリトルプレスを通販で買ったことがあって、ロゴと店名が印象に残っていた。

郊外のビルにあるその店に入ると、本やら何やらが所狭しと並んでいる。といってもドンキ式のごちゃごちゃではなく、モノは多いけれども機能的に整っている美しい台所のような感じだ。

入ったときにいた女性客2人がすぐに去って、客が自分一人になったから、勝手にいろいろと見ることができたのはよかった。

アート系の本にはそれほど興味はないから、店の半分くらいは関心の外になってしまうが、生活系?の本の棚には全然見たこともないような本がずらりと並んでいて、かなりじっくり見てしまった。

結局、朝永振一郎の『見える光、見えない光』(珠玉という言葉は彼のエッセイのためにある!)、長沢哲夫『足がある』(50年分の自選詩集)、石倉敏明『野生めぐり』(怪書『岩魚幻談』を彷彿とさせる恐ろしくも魅惑的な記録)を購入した。

どれも、アマゾンはもちろんのこと、地元のジュンク堂でも間違いなく出会えなかった本だ。すごい棚だったなあ、いやホント。

店の奥にはこれまた「スゲー!」という感じの昭和の本が並んでいたが、なんとなく人の家の本棚から無断拝借しているような感じがして、何も買えなかった。

あと、 素晴らしい笑顔と圧倒的な色彩が溢れていて、手にとってめくってみた瞬間に「これ買おう!」と即決した写真本があった。だが裏返して値札をチラリと見て、その価格に怖気づいてしまって結局買わず。そして店を出て地下鉄に乗ってから「やっぱり、あれは…」と後悔。『INDIA is #1 “boundless”』という本。(タイトルは家に戻ってから調べた)

名古屋は他に面白いことはあまりなかったけれど (サードウェーブコーヒーの有名店にも行ってみたが、まあ今ひとつ)、ON READINGのおかげで非常に愉しい記憶 (と本) が残った。

いまさらの追加情報: リアル書店賛歌のような記事のおまけとしてはいかがなものかと思いつつ。ジョーン・トリフソンの『つかめないもの』のKindle版が発売された。紙の本よりも安いです。無料サンプル読めます。こちら

オママゴト?

 
寒い日が増え、早朝の釣りがちょっとつらくなってきた昨今、ようやく晩秋恒例の探求祭りが今年も始まった気がする。

ダグラス・ハーディングの『存在し、存在しない、それが答えだ』が面白くて、その影響もあるのかもしれない。探求というのか、探究というのか。ここにない何かを探してしまう動きだから、探求の方だろう。ハーディングは探究を勧めているはずなのに。

そんなことで、ウェブの見回りをしていると、ジョン・シャーマンつながりでシロネコヤマトというブログを見つけて、何かすごくいいなあと読んでいた。

その流れでタクさんという人のブログに行き着いた。

Life is like children playing house. 人生はおままごとのようなもの。

非二元系と言われるようなメッセージの中には、「聞いてもいないのに勝手に説法するなよ」と言いたくなるような暑苦しさ、変な圧、粘着性を感じるものもあるが、これは違う。親切なのにクドさがなく、真正面勝負なのに面白い。

少しだけ勝手に引用。(ちょこっと「それ」を垣間見る。一瞥体験について)

僕がこのブログでよく、
わからんままでおったらええんやで。
ってね。
言ってますけど、

これは、一瞥体験のこともわからんでええんやで。
ということなんです。

自分が戻ってきとるんです。
自分というのは概念だってわかってるはずなのに、
そのわかってるという働き自体がもう自分なんですね。

何かを理解して、自分のものにして、
よりよくなろうとする。
この動きが自分です。

自分とはエネルギーのようなものなんです。

エネルギーとは動きです。

ただの動きなので、実体はありません。

そして、ただの動きなので所有者も行為者もいません。

外に吹く風と同じなんです。

意識という空間の中で
風が吹いたり、自分とかつて定義していた
何かしらの働きが動いているように見えます。

そしてあるのは「それ」だけです。

何かしらの働きに行為者という概念を付け加えたのが、
自分です。

エネルギーの働き自体がなくなることはなく、
その行為者がいないという見抜き。

それが「それ」であり、そこに何かを体験する誰かはいないと見抜かれます。

そこでようやく一瞥体験という幻想から抜けられるんです。

何も分かる必要がなかったんです。
わからんでよかったんです。

深刻さや重さが抜ける感じがどの記事にもある。これこれ、それからこれもすごく好きな記事。

僕のブログを読んでいるような人なら、すでに存在を知っているかもしれないけれど、ミナトさんのブログを知ったとき以来の久々の衝撃だったので、つい嬉しくなって書いてみました。「知らなかったの!?今さらかよ!」とか言われるかもしれないが、探求一時休止中だったということでお許しを。

あと、トニー・パーソンズの『オープン・シークレット』が12月中旬頃に発売になるとのこと。発売日がわかり次第、また告知記事を書く予定。

おまけ: 訳書の中では好きな方から何番目かのジェニファー・マシューズの本について書かれたばかりの良記事発見!
いま、思い煩うのをやめてみる。『ただそのままでいるための超簡約指南』