リック・リンチツの魂

 
3月15日に発売されるリック・リンチツの『あなたも私もいない』(No You and No Me) を発売前に送ってもらった。役得。

リックは4年ほど前に癌でこの世を去っているが、初めて彼を見たときの記憶は鮮明に残っている。2011年のSANDカンファレンスだったが、まだすごく元気そうだった。

そのときのことは、このブログでも少し書いたが (これ)、「覚醒」「目覚め」というのは個人が保持できるようなものじゃないということを軽やかに表現していた気がする。というか、その非個人性が全身から香っていた。壇上から語りながらも、その「上」とか「下」が幻であることが明らかになる場だった。

代替医療的な色彩の強い癌専門のクリニックを経営していた医者で、呼ばれたときにしかサットサンはしていなかった人だ。リックの師のサティヤム・ナディーンも「先生活動」をやめたあとは、自然のなかでの独居を続けているらしい。そういう一歩引いた感じに僕は弱い。

この本は、ミーティングでの対話を書き起こしたものに、付録という感じで対談が最後に付けられている。明記はされていないが、編纂を担当したキャサリン・ノイスさん(関連のブログ記事) が対談相手のようで、彼女がよくわからないジョークで勝手に笑っていて多少当惑させられる。録音を聞けば、ニュアンスがもう少しわかるのかもしれないが、ともかくあの対談をよく訳したなあと感心してしまう。

リックはまったく方法を示さない人だから、好き嫌いはもしかしたら分かれるかもしれない。瞑想しろとも、今ここに気づきを向けろとも、座れとも、座るなとも、ミーティングに行けとも、行くなとも、先生を探せとも、探すなとも、とにかく何も指図しない。

ガツンと来る一言、決めセリフは特にない気がするが、この本 (原書) はなぜか何度も手にとって読んでいる。本棚から取り出した回数でいえば、洋書ではベスト3に入りそう。ジョン・ウィーラーのすっきり感とロジャー・リンデンのいたずらっぽい笑みを足して、そこにレオ・ハートンの妥協のなさのスパイスを・・・って、邦訳書が出ていない人ばかりで意味不明ですね。

原書のカバーとまるっきり雰囲気の違う表紙デザインと、ちょっと微妙な感じの帯の言葉が気にはなるけれども、あんなに素敵な人がこうして一冊の本の形でメッセージをこの世に残してくれたことに感謝しつつ、おすすめしたい本です。

『あなたも私もいない』リック・リンチツ(3月15日発売)

レベカ・マルーン発見

 
このブログの存在をふと思い出し、今月は記事を書かずに終わるのかなと思いつつ、でも新しい発見もなければ、衝撃の一瞥もないし、まあいいやと考えていた。

2月の山梨は空気がすごく澄んでいて、朝日に照らされた甲斐駒ケ岳や八ヶ岳は「神々がおわすところ」という感じに輝く。これ以上何かを求めるというのは明らかにおかしい。探求? いらないでしょ。そんな気分になる。

本は面白いものが何冊か今月もあったけれど、非二元本はヒットなし (というか、読んでない)。一番良かったのはこれ。北欧のイメージがガラガラ崩れた。

非二元本は読んでないと言っても、Amazonで注文していたティム・フリークの Deep Awake という新刊はちょっと前に届いた。カバーデザインがポップで、ジャケ買いしてしまった本。ただ、読もうとしても数ページで止まってしまう。

ティムの場合は本よりもトークの方がはるかに面白い。そう思って、この本の出版前後にティムがロンドンのWatkins Booksで開いた会の模様をYoutubeで見た。(これ)

相変わらずのオーバーアクションを楽しみながら、ティムのキラキラの目を見ていて、急にある人のことを思い出した。

それで、もしかしたら見つかるかもと思って、彼女のファーストネームと当時彼女が住んでいたイングランドの都市の名前で検索すると、なんとすぐに見つかった。2012年のトニー・パーソンズのレジデンシャル (リトリート) で会った人で、その人のことは記事にしたこともある。(奇妙なのはどちらか?)

タイミングよく去年ノンデュアリティ本を出していたらしい(This is God)。ウェブサイトも作っていて (ここ)、新刊の告知動画も載っていた。

英語が得意じゃない人はレベカの話している言葉の意味はわからないかもしれないけれど、雰囲気は伝わると思う。開始から01:35〜02:40くらいの感じは、ジェフ・フォスターの初期に似ていて、ぞくぞくしてしまう。トニーのレジデンシャルの帰りの乗換駅で、30分か40分ほど二人で話をしたのだが、そのときの表情そのままだ。

そのびっくりの勢いで、こうしてブログに記事を書きはじめた。

が、「先生活動はじめちゃったのね」という残念さをどこかで感じているのも事実 (まさか始めるとは思わなかった。それに先月はティルヴァンナマライでサットサンをしているようで、それも「いかにも」でがっかり)。立ち位置をそこに置くと、どうも変な要素が入ってくる気がする。特に生活のためにメッセージを発信しはじめるときの独特な変質は「もったいないなあ」と思ってしまう。彼女の場合はわからないが。

生活のためじゃなくても、「教える側」「伝える側」というポジショニングは特有の力学を生む。他の先生たちとの競争、差別化の必要も出てくるかもしれない。それにそもそも、「わかっていない人」の存在を想定するというスタート設定がどうなんだろう。

リック・リンチツが、覚醒からしばらくは「なんでこれが見えないんだ!? 本当は見かけと全然違うんだ。おい!オレの話を聞いてくれよ!君らには真実が見えてないんだよ!!」という感じが続いて、相当うざい人になってしまっていたと前に話していたが、「他者」が存在しているという認識が覚醒後もそのままになる場合もあるんだろうか。

まあ、自分のことを考えれば、おいしいコーヒーを売る店を見つけただけで有頂天になってブログに書きたくなるくらいだから、他人のことは全然言えない。それに、ルパート・スパイラを知った直後に彼の文章を毎日和訳していたのも、自分がしていた感じはなく、自分を通してそれが起こっていたといった方が近いから、世の「先生方」も単にお役目を割り当てられているだけということなのかもしれない。だから、「わかっていない人」の存在を想定した上でそれに対して何らかのアクションを起こしている、という見方自体が間違っているのかも。多分そうだ。

でも、レベカが先生活動を始めたおかげで、あのイッちゃってる目をまた見ることができたのだから、良しとしましょう。何度も見てしまうなあ。また会えて良かった。

Amazonレビューレビュー。

 
本が好きだから、Amazonが日本で商売を始めたときはけっこう狂喜した。Amazonが薦めるままに本を注文していたら、年間で数十万円も買っていて驚いた記憶もある。

今はさすがにそういうことはない。「この商品を買った人はこんな商品も買っています」とか「よく一緒に購入されている商品」のところに「オッ」という本が並んでいても、すぐには買わない。まずはメモしておいて、それがたまってきたらジュンク堂など地元の書店に行って実物を見て、買うかどうかを判断する。結果、9割は買わない。

それでもAmazonには大きな魅力があって、それは早い配達ではなく (最近は山梨でも当日に到着したりするからびっくりするが)、レビューだ。

といっても、自分が訳した本に書かれた五つ星レビューを眺めてニヤニヤするとか、そういうことではない (するけど)。

「これはいいねえ」という本に出会ったときに、その本のAmazonレビューを見て、いい感じのレビューをピックアップして、そのレビュアーさんが書いた他のレビューを読む。誰でもやっていることだとは思うが、これがけっこう素晴らしい出会いにつながる。

つい最近の例だと、as it isさんという方 (レビューページ) 。非二元だけではなく認知療法や宗教など幅広くユニークなレビューをしていて、その人がハーディングの本のレビューのなかで、モーリス・ズンデルという名前に触れていた。

目にしたことがなかったから調べてみたが、だいぶ前に亡くなっているスイスの司祭だということだった。それがきっかけで、『沈黙を聴く』という素晴らしい本を知った。

さらに、その『沈黙を聴く』にすごく静かで奥行きのあるレビューを書かれているクロネコさんというレビュアーさんの存在を知った(レビューページ)。この方はかなりの数のレビューを書かれているのだが、エックハルト・トールやフランシス・ルシールの本にも、控えめでありながらなんとも言いがたい説得力が感じられるレビューを記している。

そのおかげで、エックハルト・トールの未邦訳本や、食わず嫌いだったティク・ナット・ハンの本をいくつか知ることができた。他のルートでは多分出会わなかったと思う。

それからミラーナイトという名のレビュアーさん (レビューページ) がいる。仏教、禅、中論などの本に丁寧なレビューをたくさん書かれている。たしか荘子の本経由でその存在に気づいたのだったと記憶しているが、その方のレビューで可藤豊文という人を知り、『自己認識への道』というとんでもない本 (いい意味で) を知ることになった。

Amazonのレビューシステムがなかったら、まず出会わなかっただろうと思う。本屋でも可藤豊文氏の著書は一度も見かけたことはない。

こういう出会いはAmazon.comやAmazon.co.ukでも当然あって、これまでに何冊も素敵な本に出会っている。(ジョーイ・ロットもきっかけはAmazon.comだった)

ただ、必ずうまくつながるというわけでもない。たとえば、自分がものすごく気に入った本に、「この本は最高だ。非二元の本、悟りの本を今までに100冊以上読んできたが、これがあれば他はいらない」とレビューしてあって、「そうだよ、本当にそう」と思いながら、その人の他のレビューを読むと、それっきりになっている例。つまり、本当に探求が終わってしまったらしく、それ以降は家電製品やサプリのレビューばかりになっている。

それはそれでめでたく思わないといけないのかもしれないが、本好きとしては不満が残る。特に僕の大好きな J・C・アンバーシェルあたりについては、彼と同じくらい素晴らしい著者や本を誰か紹介してくれないかなあと、Amazon.comのレビューを定期的に覗きにいくのだが、皆無ではないけれど、あまり成果がない (新たに知ったのはCharlie Hayesくらい)。

と書いていて気づいたのだが、自分でレビューを書いていないからかもしれない。受け取るばかりじゃなく、ちょっと書いたほうがいいのかも。

それで思い出したが、「ヒロさんはAmazonレビューを読むとアジズのSPをけっこう重要視しているのに、ブログではほぼ触れてませんね」と数年前に誰かからメールが来たことがある。

これは「ヒロ違い」で、非二元本を何冊もレビューしている別のヒロさんというレビュアーさんがいて(ここ)、その人と混同したらしい。僕はアジズもインドのディクシャ爺さんも好きじゃないし、そもそも非二元関係のレビューをAmazonに書いたことはない。

いずれにしても、Amazonには明らかに世話になっている。地元の書店を応援しなきゃと、和書はリアル書店で買ってばかりだったが、Amazon経由で知った本はAmazonで買うのが筋なのかも (洋書は今もほぼすべてAmazonだから筋は通してます)。

【おまけ】みずほさんの『オープン・シークレット』の感想、というかトニーの描写がすごい。こういう人に訳書を読んでもらえるなんて、僕は前世と前々世と (以下略) でよほど徳を積んだに違いない。
http://kamisamanokakurenbo.blogspot.jp/2017/01/blog-post.html